歩いて感じる「正岡子規の世界」 鶯谷駅から徒歩数分の文学旅、あなたもいかが?
2019年11月28日
お出かけJR鶯谷駅から歩いて5分の場所にある、俳人・正岡子規がかつて住んでいた「子規庵」。同庵について、フリーライターの下関マグロさんが解説します。
なぜこの駅の名前が鶯谷になったのか
山手線の駅のなかで、もっとも乗降客が少ない駅をご存じでしょうか。それは鶯谷駅です。しかし、筆者(下関マグロ)はぜひ鶯谷駅で下車してほしいと思っています。
みなさんは、鶯谷駅というとどのようなイメージがありますか。駅前からラブホテルが建ち並んでいる街という感じでしょうか。かつては、出稼ぎや集団就職の人たちが泊まる旅館が軒を連ねていたそうなのですが、時代とともにラブホテル街に変わったようです。
実は「鶯谷」という行政上の町名はありません。では、なぜこの駅の名前が鶯谷になったのでしょうか。
諸説ありますが、そのひとつは駅の西側にある寛永寺(台東区上野桜木)にまつわるものです。寛永寺は江戸時代、住職として京都から皇族が代々出張してきていたのですが、その中のひとりが「江戸の鶯はなまっている」と言い、京都から鶯を運ばせて鶯を一帯に放したので、鶯の名所になったそうです。もっともその場所は、駅の場所より谷中方面だったとか。
鶯谷駅があるのは台東区根岸1丁目。ラブホテル街を抜けて、根岸2丁目に「子規庵」があります。

子規庵は明治時代に活躍した俳人、歌人、随筆家の正岡子規がかつて住んでいた住宅で、現在は一般公開されています。子規は愛媛県松山市で1867(慶応3)年に生まれました。その後上京し、東大予備門に入学します。同級生には夏目漱石がいました。
子規は27歳の1894(明治27)年、子規庵のある根岸に住み始めます。またふるさとの松山市から母・八重と妹・律を呼び寄せ、ここを彼の文芸活動の拠点にしていったのです。ここで句会や歌会が開かれ、句会には夏目漱石や森鴎外、歌会には伊藤左千夫、長塚節が参加しています。

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