いったいどうして? 学芸会で「問題児が主役をゲット」、都内小学校の切実な事情とは

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いったいどうして? 学芸会で「問題児が主役をゲット」、都内小学校の切実な事情とは

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中山まち子

教育ジャーナリスト

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小学校での学芸会は、児童にとっても保護者にとっても関心の高い一大イベント。かつてはクラスのリーダーや優等生が主役を演じるイメージがありましたが、今はそうとは限らないようです。教育ジャーナリストの中山まち子さんが、昨今の状況を紹介するとともに隠された教育的狙いについて分析します。

演劇の配役はオーディション形式で選ばれる

 秋から冬へと向かう季節に小学校で行われるイベントというと、学芸会を挙げる人も多いでしょう。

 現在では「学習発表会」と呼ぶ学校が増えているようです。東京都のほとんどの小学校では、図画工作をテーマにして学校全体を会場にした展覧会、学年での合唱や合奏を発表する音楽会、そして劇や朗読などを行う学習発表会を年度ごとにローテーションで実施しています。

 いずれの会でも、わが子の成長を見守る保護者にとっては楽しみなイベントですが、特に劇を上演する学習発表会の年度ともなると「わが子はどんな役をやるのだろう」と例年以上に気になってしまうものです。

 昔はクラスのリーダー的存在の児童や、いわゆる優等生が主役などの目立つ役を任されることがほとんどでした。しかし最近の小学校では、問題行動を起こす児童がメインを張るケースも少なくありません。今回は、いわゆる「問題児」がなぜ大役を任されるのかについて考えていきましょう。

舞台での発表に臨む児童のイメージ(画像:写真AC)



 音楽会でのピアノ伴奏をする児童は、技量などを考慮してオーディション形式で選ぶのが以前から一般的ですが、劇の場合でも同様にメインから端役までをオーディションで決めるのが現在の主流です。

 親世代の頃には、先生が主役や準主役をある程度決めることもありましたが、現在ではそういった誘導はありません。すべての児童に対して公平に決める、というのが基本的なスタンスです。

 また、今の小学校では、劇の主役がたったひとりということは稀(まれ)です。前半と後半という2部構成の主役が別だったり、第1幕から第5幕それぞれに主役が配されたりといったことも間々あります。つまり、ひとりの子だけにスポットライトを当てるのではなく、より多くの児童が表舞台に立てるよういくつもの機会を設けているのです。

 このようにいくつものポストを設けているため、日頃から問題行動を起こしているような児童であっても、主役や準主役に立候補すればオーディションに合格し選ばれるということがあります。合否を決めるのは先生ですから、単に声量や演技力だけでなくそれ以外の要素も踏まえて選んでいるはずです。

 では「それ以外の要素」とは、一体どのようなものでしょうか。

大役を担うことで責任感・協調性・自信が養われる

 文部科学省が進めている教育改革の目玉のひとつに「アクティブラーニング」があります。

 小学校の教育現場では、グループ活動や教室内での発表の機会が親世代よりも増えています。こうした国の方針から垣間見えるのは、学習発表会のような場面を通じて集団行動や仲間と協力することの大切さをすべての児童に感じ取らせたいという狙いです。言うまでもなく、「問題児」と呼ばれる子もそこには含まれます。

 子どもたちは練習を重ねていくうちに、同じ舞台に立つ仲間たちと息の合った演技ができるよう意識を高めていきます。演劇は出演者全員の連係プレーで出来栄えの良し悪しが決まるもの。そのなかで「問題児」が疎外感を感じたり独り善がりになったりしないよう、そして皆と思いを共有できるよう、先生の判断であえて大役を任せるというケースも往々にしてあるのです。

小学校での学芸会を見学する保護者たちのイメージ(画像:写真AC)



 東京都では児童鑑賞と保護者鑑賞を別の日に設けている小学校がほとんどで、子どもたちは2度の大舞台に立つことになります。主役や準主役の児童らは特に、自分自身が劇の出来を左右しかねないという重責を感じながら本番を迎えることになります。

 日頃から責任感の強いリーダー的存在の子にとっては大層のことではないかもしれませんが、問題を起こしがちな子にとっては普段感じることのないプレッシャーが伸し掛かってきます。これまでの練習を思い出し、重圧をはねのけて良い演技をし、責任を持って最後まで成し遂げることができたなら、それは間違いなくその子にとって何にも代えがたい体験となることでしょう。

 いつも先生や親に叱られてばかりいる子は、なかなか自信を持つことができません。そんな子にとって学習発表会という大舞台での成功体験は、自信を得るための極めて貴重な場ともなるのです。つまり、「問題児」に大切な役を与えた先生の判断には、劇を通じて彼らの心の成長を促してあげたいという願いが込められているのです。

「問題児が主役」は、先生の器のバロメーター

 その一方で、主役や準主役はすべて「良い子」に回すという先生もいます。

 もちろん、クラスのリーダーや優等生が「主役をやりたい」と思う気持ちもまた尊重されてしかるべきです。ただし先生側が、波風立てずに事を進めたいとか、「問題児」に劇を壊されたくないなどといった気持ちを隠し持っているとなると、話は別かもしれません。

 大過なく学習発表会を終えることが一番の目的になってしまえば、せっかくの子どもの成長の機会を逸してしまうことにもなり、本末転倒です。

 先生たちが話し合いによって決めるオーディションの合格者。学年・学級全体の成長を願うのであれば、たとえ保護者やほかの児童から「どうしてあの子がメインなの?」と思われたとしても、「問題児」を邪険にせず、確信をもって意義ある役を任せるのではないでしょうか。

 先生の力量や勇気があってこそ、さまざまな児童に役割を配分できるのだといえそうです。

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