王道ラブコメ路線も、後半部分は今やめったに口演されない『宮戸川』【連載】東京すたこら落語マップ(1)

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王道ラブコメ路線も、後半部分は今やめったに口演されない『宮戸川』【連載】東京すたこら落語マップ(1)

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櫻庭由紀子

落語・伝統話芸ライター

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落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる話を毎回やさしく解説します。

歌舞伎と落語の間を取ったような芝居噺

 落語には「バカバカしいお話」である「落とし噺(ばなし)」のほかに、人情噺、怪談噺、芝居噺があります。歌舞伎と落語の間を取ったような芝居噺が、時代とともに落とし噺や人情噺に変化したり改変されたりすることも多く、今回ご紹介する古典落語「宮戸川(みやとがわ)」はまさにその典型です。

葛飾北斎『千絵の海 宮戸川長縄』(画像:櫻庭由紀子)



 もともとは長い芝居噺であったものが、現在は前半のみ口演され、少年漫画のラブコメ設定のような話となっています。あらすじは次のとおり。

※ ※ ※

 小網町の商家の息子・半七は、客先で碁に夢中になって遅くなってしまい、家から閉め出しをくらってしまう。隣に住む船宿の娘・お花も帰りが遅くなってしまい家に入れないらしい。

 半七が霊岸島(れいがんじま)の叔父の家に泊めてもらうつもりでいると、お花も連れていってほしいという。「叔父さんがあらぬ誤解をしてしまいます」と袖にするが、なんだかんだでお花も叔父の家に着いてしまう。

 案の定、大誤解した叔父は「布団がひとつしかないけど枕はふたつある」と2階に半七とお花を追いやる。ひとつしかない布団を前に半七は困ってしまうが、お花はまんざらでもなさそう。

 そのうち雨が降り、雷が鳴り始め、ついに落雷。大きな音に驚いたお花が半七の胸に飛び込む。思わず抱き留めた半七の腕に力が入ると、お花の緋縮緬の長襦袢の裾がパッと割れ、真っ白な足がすーっ。朴訥(ぼくとつ)なる半七も木の股から生まれたわけではなく、思わず手がお花の足に伸びて……「ここから先は本が破れてわからない。お花半七馴れ初めの一席」。

※ ※ ※

 この噺は芝居噺といい、鳴り物など効果音を入れながら進めていくものでした。というのも、元ネタは歌舞伎の心中もの「長町女腹切(ながまちおんなのはらきり)」。もっとも、内容はまったく違うもので、使われているのはお花と半七の名前だけです。落語にはこういう話がいくつもあります。

ラブコメ風からの予想外なスピンオフ

 半七とお花が住んでいるのは、小網町。地名は現在も残っていて、水天宮(中央区日本橋蛎殻町)と茅場町の間辺りです。現在ではビジネス街と商家が混在する町ですが、江戸時代は河岸がある水辺でした。

 広重の浮世絵「鎧の渡し」によると、隅田川河岸には蔵が軒を連ねていたらしく、半七も蔵を持つ商家であったのでしょう。当時、船は移動や配送の重要な役割を持ち、浅草や吉原には船で行く方が早かったそうで、お花の家が船宿であったこともうなずけます。

 鎧橋にある一説によると、鎧橋の由来は平将門が兜(かぶと)と鎧を納めたところとも伝えられているそうで、ここにたたずんでいるだけでも強くなれそうです。強運厄除けといえば、小網町の地名の由来にもなっているのが小網神社。銭洗い弁天による金運のご利益もあるとのこと。

 久蔵の早とちりな叔父さんがいる霊岸島へ。現在の新川付近で、信号と橋にその名前を残しています。越前堀児童公園内にある「霊巌島碑」によると、地名の由来となる霊巌寺は明暦の大火で深川へ移り、明治大正期には下町商業の中心地区であったと言います。

隅田川の護岸の入り口にある霊岸島水位観測所(画像:櫻庭由紀子)



 また、江戸時代の頃は埋め立て地ということで足場が悪く、亀島川付近は「蒟蒻(こんにゃく)島」とも呼ばれていたそう。全国の水位の基準になっている霊岸島水位観測所から隅田川を一望。江戸が水の都であった時代が偲ばれます。

 さて、霊岸島の叔父さんのところで馴れ初めになるようなコトを起こしたかもしれないふたりはめでたく夫婦になります。ラブコメならここで最終回の大団円なのですが、最近ではめったに演じられないスピンオフのような続きがあります。

 雷の一夜がきっかけで夫婦となった半七とお花。ある日、お花が浅草寺に小僧と一緒に出掛けるが、帰りに雨にあってしまい小僧に傘を取りに行かせる。その間にお花は何者かにかどわかされてしまい、半七が懸命に探しても見つからず、悲しみにくれて葬式を出す。

 時は過ぎ、お花の一周忌で山谷掘から戻ろうとした半七は、船頭から「良い女がいたからなぶりものにして、顔を見られたから宮戸川に捨てた」という話を聞く。お花は辱めを受け殺されたのです。遠くでお花の声がする。跳ね起きると、お花は無事に浅草寺から戻っている。夢だったのだ。

「ああ、夢は小僧の使いだ」(「夢で小僧が使いに出ていた」と、「悪い夢をみる理由は疲れているから」ということわざ“夢は五臓の疲れ”をかけた地口落ち)

 この後半は、船頭がお花をかどわかしてからの話があまりにも凄惨であり、笑いの場面がないまま夢で落ちるということで、現在ではめったに演じられることはありません。

さまざまなバージョンがある「宮戸川」

 幕末から明治にかけては芝居噺として演じられていたため、凄惨な場面は芝居がかりで演じられたのでしょう。明治23年の口述速記が残っていますが、「善いをんな(女)だナ……どうだエ、三人で強淫(なぐさ)もうぢやアねェか」など、現在ではおよそこのまま演じることは難しいでしょう。最近では柳家喬太郎が迫力満点に演じています。

 タイトルにもなっている「宮戸川」は、後半に初めて出てきます。宮戸川とは隅田川のこと。隅田川は大川とも呼ばれていましたが、浅草周辺では宮戸川だったようです。

歌川広重『江戸名所百景 鎧の渡し小網町』(画像:櫻庭由紀子)



 広重の絵にも「宮戸川吾妻橋」と描かれています。半七が夢の中で船頭と会った山谷堀は、現在は埋め立てられ9つの橋台のみが残ります。吉原までの船の道で、船での吉原行きは陸路よりも優雅で粋とされていたようです。

 お花が出掛けた浅草寺は、都内最古の寺であり浅草のシンボル。おみくじがなかなか辛辣で「凶」が出るのはむしろ普通です。実は凶は「もう下がないから上がるいっぽう」という意味もあるとか。反対に大吉が出てしまったら身を引き締めなければならないとされています。末吉まではお守りとして持ち帰り、凶だけ結んでも良いそうです。

 浅草寺の周辺には木馬亭や浅草演芸ホール、隣の東洋館があり、伝統芸能やお笑いを楽しむにはもってこい。浅草演芸ホールには看板猫の「ジロリ」くん。隣の東洋館は、ビートたけしがエレベーターボーイをしていたことでも有名です。

 現在の「宮戸川」のサゲ(オチ)、「ここから先は……」にはさまざまなバージョンがあり、すべてを語らないところに落語の美学をみることができます。

 五代目圓楽バージョンでは、この後で「古い小本の裏表紙を剥がすと見返しに……」と、粋な口上が語られます。古今亭派は、この口上は「お初徳三郎」のサゲに語られており、そんな違いもまた楽しいものです。

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