水難都市「東京」が大雨被害と戦ってこられたワケーー先人の知恵から読み解く治水の法
2019年11月2日
知る!TOKYO東京・奥多摩や、千葉県との県境。これまで幾度となく水害に見舞われながらも被害を抑えられてきた理由はどこにあるのでしょう。ライター・エディターの大石始さんが先人の知恵を読み解きます。
取材で歩いた地域一帯が、台風19号に襲われた
2019年10月、筆者が上梓した『奥東京人に会いに行く』(晶文社)。東京の周縁地域を「奥東京」と名付け、それぞれの土地に伝わる信仰や風習について現地の人々から話を聞き、まとめたものです。ジャンルでいうと民俗学的ノンフィクションになるかと思いますが、人と土地の結びつきに触れながら「これからの東京の暮らし」について考えた本でもあると考えています。
発売日だった10月21日(月)、あの台風19号が東日本に襲来し、広い範囲で甚大な被害をもたらしました。
同著の取材のために筆者が訪ね歩いた、奥多摩や伊豆諸島、東京と千葉の県境地域。かつて摂津国の佃村からやってきた漁民たちが造成した中央区の佃島、多摩川の河口に位置する羽田の旧漁師町……。これらの土地のなかには、台風19号によってダメージを受けたところもありました。

幸運にも筆者が取材した住民たちは無事だったようですが、奥多摩の一部が道路の崩落によって孤立化したほか、多摩川や荒川、江戸川の周辺地域も氾濫の危機に晒されました。
また19号だけでなく、9月の台風15号の際には、今回の取材でお世話になった新島の人たちが家屋の破損などの被害を受けたといいます。今回取り上げた「奥東京」とは、常にそうした自然の脅威に対峙してきた地域でもあったわけです。
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