外国人に伝わらない「カタカナ英語」、知らずに使うと恥をかく!
旅行先やビジネス現場など、外国人と英語で会話をする際、簡単な英単語なのに相手に通じず戸惑った経験はありませんか。その原因は「カタカナ英語」にあるようです。異文化コミュニケーションの専門家が解説します。英語と意味が異なる「カタカナ語」 皆さんは外国人と「カタカナ英語」(以下、カタカナ語)を使って話した時、「なぜこんな簡単な言葉なのに通じないのか」と驚いたり、または(相手の外国人が)「なぜこんな怪訝な顔をするのか」と違和感を覚えたりした経験はありませんか。 今回は、日本人の「カタカナ語」について考えてみたいと思います。 外国人の反応に違和感を感じた人は多い?(画像:写真AC) まず紹介するのは、外国人留学生のための採用面接に、私が立ち会った際の出来事です。 日本人社員 「うちの社長は、とてもアグレッシブだからね!」 外国人留学生「ハハハ……」(え?まじ?この会社はやめとこうかな) ひとつめは、英語由来のカタカナ語のうち、本来の意味と異なって使われているグループです。これらは一般に「和製英語」と呼ばれ、海外で通じないのはもちろんのこと、国内でも、その使い方に慣れている人が相手ではないと、まるで通じません。 海外だけでなく、日本語で(日本や日本語に慣れていない)海外人材を採用する際など、両者の文化ギャップが大きい場面では注意してもらいたいと思います。 先に例に出した「アグレッシブ」は、もともと、「攻撃的」、「侵略的」というネガティブな意味をもつ英単語です。しかし、日本では、「前向き」「積極的」というポジティブな意味合いで使われることも少なくありません。 今回のように、(うちの社長は)「積極的で前向きな人ですよ!」と言いたいのに、伝わっている意味が英語本来の「攻撃的で悪い人ですよ!」という意味に反転してしまっているケースは、特にリスクが高いといえます。 自分が伝えたいメッセージを話す前に整理してから、「アグレッシブ」の代わりに「元気で、一緒に仕事をすると楽しくなる人」「自分でどんどんアイデアを出す人」「コミュニケーションが好きな人」「営業が得意な人」など、より具体的な説明に切り替えたほうが無難です。 同じように、ニュアンスがずれる和製英語にはほかに、「クレーム」(日本語では文句や不満を伝えるというネガティブな意味だが、英語では法律的に主張するというニュートラルな意味)、「キックバック」(日本語ではニュートラルに斡旋フィーという意味で使うこともあるが、英語では賄賂というネガティブな意味)などがあります。 発音が異なるカタカナ語発音が異なるカタカナ語 次は、意味は同じでも、発音の違いによってコミュニケーションに支障がでるケースです。 ポイントはアクセントにあり(画像:写真AC)日本人「いやー、昨日のコンサート、特にアンコールの曲が最高だったよ」 外国人「え?もう一度?」 アンコールという言葉は英語のEncoreから来ています。これを一般に、「外来語」といいます。特別な表現でもないし、その前に「コンサート」というヒントもあるので、相手にとっても意味を想像しやすい状況です。 にもかかわらず、通じなかった理由は、発音に違いがあったからです。特に今回は、発音のうち、アクセントにポイントがあります。 日本語と英語はアクセントのシステムが違う ここでみなさんに質問があります。 日本語のアクセントはどういう種類か、みなさんはご存知でしょうか。言語として、どういうシステムでアクセントが運用されているのか、おそらく多くの読者の方は、知らないでしょう。 それは、みなさんが日本語ネイティブのため、無意識にアクセントを運用できるからで、学校でもそういう教育を受けてきていないからです。 結論からいうと、日本語のアクセントは「ピッチアクセント」というシステムを採択しています。 ピッチというのは、音の高低。高いピッチをハイピッチ、低いピッチをローピッチと呼びます。日本語は、このピッチの高低を利用したアクセントを採用している言語です。だから、単語と呼ばれる言葉の単位の中で、音が上がったり下がったりしているのです。 一方、英語のアクセントはというと、これが全く異なるシステムを採択しているのです。英語は「ストレスアクセント」。音を強めたり、弱めたり、強弱2つのアクセントを使い分けています。日本語のピッチアクセントとは、コンセプトからして全く異なるシステムなのです。 では、ここで改めて、カタカナ語「アンコール」のアクセントについて考えてみましょう。実際に声に出していただくと分かりやすいと思いますが、ひとつめの「ア」は音が低く、そこから「ン」にかけて急に音が高くなっているはずです。そして、「コー」まではその高いピッチを維持し、最後の「ル」に向かって、また急激にピッチが下がっていると思います。 一方、英語の方はというと最初の「ア」にあたる音に強アクセントが置かれています。 カタカナ語が英語学習の妨げとなる可能性もカタカナ語が英語学習の妨げとなる可能性も 先述の通り、日本語と英語はアクセントのシステム自体が全く異なるので、単純な比較はできませんが、ここで大事なのは、最初の「ア」のピッチが、日英で比べると逆になっているということです。 日本語と英語は、単語の最初の音が異なる(画像:写真AC) 日本語の「ア」は低く、話者によっては口ごもる傾向があるため、相手にとって、聞き取りにくいかもしれません。この「ア」はどちらかというと、次の「ン」で急に音が高くなるための、準備のような段階となっているともいえます。 しかし、英語はそうではありません。いきなり「ア」がパッと前面に押し出され、そのあとはどんどんと失速していくようなイメージです。いきなりビックリさせないでよ、と感じる日本人もいるかもしれませんね。それほど強いアクセントが冒頭にきます。 単語の最初の音がまるで異なるピッチとなっているため、日本語ネイティブと英語ネイティブどちらの立場でも、聞き取りが難しくなっているのです。 このような、アクセントからくるカタカナ語の伝わりにくさについては、「アグレッシブ」のような、英語と比べ意味がまるで異なる和製英語の一群と比べ、あまり話題になることはないように感じます。 しかし、発音からくるカタカナ語の分かりにくさについて、識者の中には、「日本人の英語力が高まらない」原因と捉えている人も少なくありません。 アクセントの違いを含め、本来の発音とはかなり異なる発音を使ったカタカナ語を日本人は幼い頃より語彙として覚え、日々の運用を繰り返すため、それに対応する本来の英語の方の発音も悪くなる可能性があります。英語学習という観点から、これは悪影響だという捉え方です。 ましてや日本語としても相手によっては通じないのだから、いっそ運用をやめるか、本来の英語の発音に近いものを運用したほうがいいのではないかと考える人もいます。 また、日本語を学習する外国人にとっても、本来の英語と異なるカタカナ語の聞き取りは、国籍に関わらず非常に難しいポイントとなっているのも事実です。 相手に合わせたカタカナ語の運用を相手に合わせたカタカナ語の運用を 同じようなカタカナ語は、生活語彙にも多く存在します。「アレルギー」はその好例です。 外国人「日本語は音楽のようだ」(画像:写真AC) こちらはアクセント以前に、最後の「ギー」が、英語本来の「ジー」に近い音と比べてかなり異なります。アクセントも、最初の音がカタカナ語ではローピッチですぐハイピッチに上がるのに対し、英語では最初の音が(強アクセントなので)ハイピッチに聞こえ、そのあとローピッチに下がるように聞こえるため、さきほどの「アンコール」と同様、高低が完全に逆となっているのです。しかも、「ル」の音(特にその母音の響き)は英語の方にはほぼ存在しません。 ここまで違うと、アレルギー性鼻炎の観光客が、ホテルのスタッフに、薬をどこで買えるか相談するとき 日本人フロントスタッフ「薬がほしいんですね?あ、お客さん、鼻水ですね。風邪?それともアレルギー?」 外国人観光客「???」 となってしまう可能性があるわけです。 この会話を、日本語でなくそのまま英語に切り替えて話したとしても、「アレルギー」という、この会話で最も重要な情報の発音が、カタカナ語の「アレルギー」の発音のままだと、外国人観光客にはほぼ通じません。 さらに、カタカナ語の発音に子供の頃から親しんできた多くの日本人にとって、「この単語だけ」英語本来の発音に切り替えることは、これはこれで容易ではないのです。 日本語を外国語として学習している人は、各種学校機関に通っている人だけでも、世界でおよそ365万人ほど(2015年、国際交流基金)。動画やアニメなどのコンテンツを使い、学校などに通わず自分で日本語を学習している人をこれに加えると、その数はもっと多いでしょう。 こういった世界の日本語学習者から私たち日本語教師が言われることのひとつに、「日本語は音楽のように(美しく)聞こえる」というものがあります。日本語に慣れ親しんでいる日本人にはそう聞こえないかもしれませんが、日本語の音楽性のようなものを底支えしている要素のひとつに、「ストレスアクセント」ではなく、平板にゆったりと響く日本語の「ピッチアクセント」があるであろうことを想像すると、時にコミュニケーションを阻害するカタカナ語の響きすら、妙にかわいく思えてくるから不思議です。 そうした日本語の魅力を味わいつつも、実際のコミュニケーションにおいては、英語との違いを知っておくことで、カタカナ語が「通じない可能性がある」ことを意識していただきたいと思います。 コミュニケーションは、基本的に双方向の関係上に成立しますが、ミスコミュニケーションが起きる原因を考えると、情報の受信側よりも発信側に改善できることが多いのも現実です。相手に対してカタカナ語を発する側のみなさんが、場面や相手に応じてほかの言葉に置き換えるなどの工夫ができると、コミュニケーションはより円滑に、豊かなものになっていくはずです。
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