山下達郎『僕の中の少年』――池袋が生んだ日本音楽界屈指のマエストロ 豊島区【連載】ベストヒット23区(3)

人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。


「今みたいな中心街じゃ全然なかった」

 前回取り上げた杉並区・荻窪駅から丸ノ内線に乗って、椎名林檎『丸の内サディスティック』(1999年)に歌われた駅名をたどりながら、都心をぐるっと回って池袋駅へ。

山下達郎が生まれた池袋の現在の様子(画像:写真AC)



 池袋といえば豊島区のど真ん中。というわけで、今回の「ベストヒット23区」は、前回の杉並区に続いて豊島区を取り上げます。そして豊島区が生んだ日本音楽界屈指のマエストロと言えば、この人――。

 山下達郎。

 まずは、あまり知られていないであろう、山下達郎の少年時代の話を、私の家の本棚にあった雑誌『宝島』1982(昭和57)年の5月号掲載「ロング・インタビュー山下達郎 サウンドよ色になれ」から引用したいと思います。

 生まれは豊島区池袋。本人によれば、池袋は「戦後の闇市のまっさかりにできた街」で「今みたいな中心街じゃ全然なかった」そうです。さらに「とにかく、ガラが悪かった」「いわば僕はゲットーチャイルドですな」と、かなり強めに話しています。

 転換点となるのは中学時代。山下家は練馬区に引っ越してお菓子屋を開業するのですが、達郎少年は越境入学の形で豊島区の高田中学(現・千登世橋中)に入学。この頃からポップスに熱中し始め、友人たちとバンドを組むことになります。

 高校卒業後、その中学時代の友人らと録音したのが、自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』。お世辞にも上手いとは言えないコーラスと演奏の中でたったひとり、異常に伸びやかで高らかな、達郎少年のボーカルを楽しむ音源(山下達郎オフィシャルファンクラブより現在でも入手可能)。この自主制作盤が、伊藤銀次経由で大滝詠一の耳に入り、プロへの道が開けていくのです。

竹早高校に見る、山下達郎の「幻影」

 このように豊島区で生まれ育ち、ポップスに目覚めた山下達郎ですが、高校は豊島区ではなく、文京区の都立竹早高校(同区小石川)に進学します。インタビューでは「本当は小石川高校に行きたかった」と語っていて、また、その竹早高校時代には当時っぽい話として、大学紛争ならぬ「高校紛争」も勃発、どうやらちょっとひねくれた高校生活を送ったようです。

山下達郎が通っていた竹早高校の外観(画像:写真AC)



 余談ですが、NHKの大河ドラマ『いだてん』で、金栗四三(中村勘九郎)が教師として赴任した「府立第二高等女学校」は、その竹早高校の前身。同校のホームページには、金栗四三に関する以下の記述が掲載されています。どうやら実際の金栗先生も、ドラマでのイメージそのままの人だったようですね。

「金栗先生はマラソン以外に登山の指導も行った。さらに、金栗先生はスポーツの指導にとどまらず、校外への遠征旅行を企画したり、修学旅行に豪華客船による船旅を取り入れたりと、高女生に外の世界に出ていく楽しさ・世界の広さを体感させ、多大な影響を与えた」(竹早高等学校百周年記念誌『竹早の百年』からの引用)

 私は『いだてん』をかなり熱心に見ているのですが、個人的な「神回」は、その「府立第二高等女学校」を舞台とした第22回「ヴィーナスの誕生」です。

 短距離走選手の村田富江(黒島結菜)らが、金栗四三の解雇に反対して、教室に立てこもるという回なのですが、保守的な時代における女学生にもかかわらず、自分の意志を強烈に主張する村田富江の姿に、私は、後に「高校紛争」を起こす竹早高校の後輩たちや、強烈な意志を押し出して音楽界を変革し続けた山下達郎の幻影を見たものでした。

池袋の繁華街で聴こえてきそうな達郎少年の歌声

 では、豊島区が生んだ日本音楽界のマエストロ・山下達郎の数多い楽曲から、「ベストヒット豊島区」として、どの曲を選ぶべきか。私が推したいのは、1988(昭和63)年に発売されたアルバムのタイトルチューン『僕の中の少年』です。

昭和の香りを残す池袋の横丁(画像:写真AC)



 テーマは自らの少年時代への決別。おそらく山下達郎自身の子どもと思われる「あの人」の「眼の中」に渡された自らの少年性 = 「僕の中の少年」に「さようなら」と告げる歌詞。

 私も一児の父親でもありますが、息子が大きくなっていくたびに、自らの甘酸っぱい少年時代の記憶を、少しずつ息子に切り渡していくような、妙な感慨に襲われることが多くなりました。『僕の中の少年』も、当時の山下達郎が抱いていた、そういう感慨・気分を歌った作品だと考えています。

 数々の路線やデパート立ち並んだ現在の池袋は、まさに大都会という感じです。ただ、ちょっと裏通りを覗いてみると、「僕の中の達郎少年」が生まれ育った、昭和30年代の池袋の面影が残っています。

 そんな池袋のありようは、ソフィスティケートされた「シティポップ」の隙間に、濃厚なブラック・ミュージックのエッセンスが漂う達郎サウンドの構造と、近いものがある気がしてなりません。

 池袋の繁華街で耳を澄ませてみましょう。その後の池袋、豊島区、ひいては日本を揺り動かすような、異常に伸びやかで高らかな達郎少年の歌声が聴こえてくるような気がしませんか?


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