ネットで炎上「ブステレビ」 問題の本質はどこにある?――今こそ「ブス = ダメ」の図式を疑うときだ

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ネットで炎上「ブステレビ」 問題の本質はどこにある?――今こそ「ブス = ダメ」の図式を疑うときだ

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秋山悠紀(ライター)

先日ネットで大きな話題となった「ブステレビ」への批判。それについてライターの秋山悠紀さんが「ルッキズム」の本質を通して持論を展開します。

そもそも「ブス」とは何か?

 インターネットテレビのAbemaTV「おぎやはぎの『ブス』テレビ」(以下、「ブステレビ」)で2019年9月9日(月)、「ブスはいくらで脱いじゃうのか?」という企画を放送しました。同番組の出演者6人に対して、雑誌編集者に扮する人物が「面白すぎる素人特集」というニセ取材を敢行し、「雑誌内で考えている『働く女性のヌード特集』でヌードになってもらう場合、ギャラはいくら?」と質問。彼女たちが希望する金額を提示するかを追った内容でした。

 この企画が放送されるや否や、ネット上では批判が殺到。番組を視聴したことがない人からも、「女性蔑視とルッキズム(容姿によって人を判断すること)を助長している」「女性の容姿をバカにするお笑いなんてもういらない」と番組そのものにも怒りが寄せられる事態にまで及んでいます。しかし、怒る前にもう少し立ち止まって考えてほしいことがあります。

容姿に関するイメージ(画像:写真AC)



 そもそも「ブステレビ」は、芸人や一般素人の女性たちが「ブス」として出演しています。女優やアイドルのような、一般的に「美人」と評されるような容姿ではない「ブス」という存在にスポットを当て、出演者の経験したエピソードやさまざまな検証を通して、言葉だけがひとり歩きしている「ブス」という概念そのものを疑い、掘り起こしていく番組だと、番組スタート時から視聴している私は捉えています。

 そして批判を浴びている企画は、「ブスは『ヌードになりませんか?』とオファーを受けたらいくらで脱いでしまうのか」というもの。放送ではまず、栄養士の山田ゆきさんは「あまり高い金額だと『このブスが』って思われちゃう」と遠慮し、「1か月分の給料(20万円)くらい」と回答。舞台を中心に活動する女優の河合あゆこさんは、「顔が写らなければ全然OKだけど顔を出すなら30万」と金額を提示しました。

 さらにキャバクラ店員の大越美咲さんは、「そういう機会があったら金額に関係なくやってみたい」と意欲を見せて0円としていました。そのほかにも、お笑い芸人のだいどぅさんは「大事なところは出したくない」との理由で200万円、同じくお笑い芸人のアイドル鳥越さんは「基準がわからないけど貧乏だから3万円でも嬉しい!」と喜びます。

宇佐さんはなぜ「1億円」と金額を提示したのか

 そんななか、最後にOLの宇佐舞さんが「ヌードになったらきっと結婚もできなくなって、一生自分で働いて食べていかなきゃいけない。そういういろんなリスクとかを考えると1億円です」と発言。するとスタジオからは失笑にも近いどよめきが起こります。

 しかし、この宇佐さんの発言に対して司会のおぎやはぎは言います。「怪しいから、断る意味も込めての1億だよね。宇佐だからムカつくかもしれないけど、考え方としては正しいよ」「みんなもそういう先々のことをそれくらい考えて欲しいよね」。このコメントこそ、本企画の真意だと受け止めるべきだと私は感じました。

「1億円もらうなら」発言が許される女性は誰か?

 女優やモデル、グラビア、水商売などの職業がある限り、女性の容姿に関して「他人が勝手に決める市場価値」は確実に存在します。これは男性でも同じ。そしてその市場価値は、自分自身が決める価値より高いこともあれば低いこともあるでしょう。

容姿に関するイメージ(画像:写真AC)



 1億円のギャラでヌードになっても誰も失笑しない女性とは誰なのか。本企画は宇佐さんの「ヌードになるなら1億円」に「そんなお金は誰も払わない」「高すぎる」と笑った人すべてに、「美人のヌードは高い、ブスのヌードは安い」という感覚のおかしさを問うものだったのではないでしょうか。

 そして山田さんの「あまり高い金額だと『このブスが』って思われちゃう」という発言のように、私たち女性は無意識の中で、他人が決める市場価値や評価の中で生きている現状も浮き彫りにしています。

 自分のヌードの値段は本来、他人からの評価軸ではなく自分自身の価値観で決めるものです。今回この企画に怒っている人たちは、同じ場面に出くわしたら「いくら積まれても絶対に脱がない」と堂々と言えるのでしょう。

「すべての女性は美人になりたい」という考えこそ蔑視

「ブステレビ」が「女性の容姿をバカにするなんて人権意識がなさすぎる」という批判を浴びるのは致し方ないことでしょう。しかし番組を観ていると、「どんな容姿の女性がブスなのか」「ブスを笑いものにしてやろう」ではなく、「どんな言動がブスなのか」「ブスとは何か」という点に主軸を置いていることがわかります。

容姿に関するイメージ(画像:写真AC)



 また番組は「ブス = ダメ」、「美人 = 良い」という図式を多くの人が信じて疑わない事実に向き合うきっかけを与えているように思います。

 過去の放送で、お笑い芸人たんぽぽ・川村エミコさんに対して「川村さんは二重になったら絶対美人になる」という声があがったとき、川村さんは「別に美人になりたいと思っていない」と言いました。「すべての女性が美人(二重など、大多数の考える美意識に沿った顔)になりたいと思っている」という考えこそ、女性蔑視ではないかと考えさせられた場面でした。

 いわゆる「ブス」とは、顔面の造形が「大多数の人が持つ美意識に沿っていない」人であり、「美人」とはその逆です。人間の顔がひとりひとり違う以上、この容姿の違いは必ず生まれます。

 その時代ごとに「美しいとされる顔」が存在するのだから、美醜の価値観が生まれるのは必然。だからこそ女優やモデル、グラビア、水商売などの職業が存在しており、また某人気アイドルグループに対しては、「顔面偏差値ナンバー1アイドル」という表現が地上波のテレビで普通に使われているのです。

ルッキズムの本質は、容姿による不当な扱い

 そうした事実には目を向けず、今回の企画を発端として「ブステレビ」をことさらに批判するのは、自分が不快に感じたものをただ叩いているだけのようにしか私は思えません。

 そしてルッキズムの本質は、「ブスか美人か」という容姿の違いではなく、容姿によってその女性自身が人格を規定されたり、不当な扱いを受けたりすることのはずです。

容姿に関するイメージ(画像:写真AC)



 先述の宇佐さんは以前番組内で、「美人は仕事で何もしていなくても上司に可愛がられて出張に連れてってもらえた。自分はブスだから、一生懸命仕事を頑張って成績をあげてやっと同等の扱いをされた」という職場でのエピソードを話しました。番組の企画である街頭インタビューでも、一般人から「ブスなんだから黙ってろ」「可愛い子とは話すけどブスとは話したくない」といった発言が毎週のように飛び出します。

 こうした容姿による不当な扱いや差別は、「女性の容姿をバカにしてはいけない」という「正論」を唱え続けていればなくなるのでしょうか。おそらく、なくならないでしょう。

 現状、日本の社会は女性を「ブスいじり」で笑いにする土台ができあがっており、「ブステレビ」でもその笑いをエンタメ化しています。一方、自分の容姿を一般的な美の基準に当てはめずに生きる女性たちが登場し、容姿による不当な扱いを披露してその問題の本質を問うている側面も確実にあるでしょう。

 観たい人だけが観られるネットTVに、そのような「ブステレビ」が存在することは完全に悪だと言い切ることはできません。

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