用がなければ行かなそう――新宿東部・牛込エリアは「23区の秘境」なのか?
2019年8月31日
知る!TOKYO観光地として有名な神楽坂から、西方面に進んだところにある牛込エリア。長らく「秘境」とされてきた同エリアですが、近年、状況が少しづつ変化しているようです。ルポライターで著作家の昼間たかしさんが解説します。
地元民は自らを「牛込住民」と認識
東京23区は狭いようで広いもの。10~20年と暮らしている人でも、訪れたことのないエリアは結構あります。

中でも、23区屈指の「秘境」といえるのが、新宿区東部の牛込エリアです。神楽坂の近辺は観光地で訪れる人が多いものの、それ以外となると事情が異なります。
現在、一般的に「牛込」として扱われるのは、旧牛込区の中でも早稲田や戸塚の除いたエリアです。特に周囲を坂に囲まれた台地上の部分は、江戸時代より武家地や寺社地として発展してきた新宿でも、古くから栄えて来たエリアです。
いわば東京の中でも「本物の山の手」とされるのが、このエリアです。それゆえ、自分たちを新宿区民よりも「牛込住民」として認識している人は今でも多いのです。
そんな強固な地元意識の結果、古くからの町名が現役で使われています。地図を見ると二十騎町(にじっきまち)とか払方町(はらいかたまち)、北山伏町(きたやまぶしちょう)とか江戸時代から続く町名が数多く残っているのがわかります。
そればかりか、江戸時代の地図と照らし合わせると、道がそのままというところも多いのです。数は少なくなりましたが、現在でも古い洋館が残っていますし、田園調布よりも迫力のある豪邸が建ち並ぶエリアまであります。
かつては「陸の孤島」だった
そんな歴史あるエリアなのに「秘境」となっているのは、長らく交通の便が悪い「陸の孤島」となっていたためです。とくに、都営大江戸線の牛込柳町駅のあるあたりは都営大江戸線が開通した2000(平成12)年までは、山手線の内側なのにエリアに鉄道駅がありませんでした。

この交通の便の悪さは古くから語り草になっていました。1930(昭和5)年の『牛込区史』には、交通機関が「区内には都電を除いて見るべきものがない」と記されています。しかし、この都電13系統(抜弁天から新宿駅へと向かう)も高度成長期には廃止されてしまいました。その後、都営大江戸線の開通まで、このエリアは完全に陸の孤島となっていたのです。

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