いくつ覚えてる? 東京から消えた「スーパーマーケット」の数々
毎日の生活になじみ深いスーパーマーケットですが、いくつもの企業が生まれ、そして消えています。今回は東京から消えたスーパーマーケットについて、ライターのミゾロギ・ダイスケさんが解説します。今は存在しないスーパーの数々 2004(平成16)年に公開された深田恭子と土屋アンナの主演映画『下妻物語』(中島哲也監督)。その作中には、地方での暮らしに欠かせない存在として、全国チェーンの総合スーパー「ジャスコ」が実名で登場します。 ところが『下妻物語』の公開から約17年後の現在、あのジャスコはこの世にありません。もちろんつぶれたのではなく、2011年から徐々に屋号を運営会社名と同じ「イオン」に変更していったからです。 スーパーマーケットの野菜売り場で買い物をする女性(画像:写真AC) 愛知県にルーツがあるスーパー「ユニー」も今は存在しません。運営会社のユニーは健在ですが、現在は屋号としてのユニーを使わず、大型総合スーパーの「アピタ」、中小規模の地域密着型スーパー「ピアゴ」など、業態の違いにより変えて運営しているのです。 このように改称した例だけではなく、“今は存在しない”スーパーマーケットの屋号は数多くあります。 ・サティ ・松坂屋ストア ・カルフール ・つるかめランド ・テスコ ・ポロロッカ ・忠実屋 ・十字屋 ・セイフー ・ウェルセーブ ・キンカ堂 以上は、かつて東京都内に店舗があったものの、今は存在しないスーパーの屋号です(個人経営の同名店舗を除く)。これらはどのような経緯で消えていったのでしょうか? “1強”イオンに飲み込まれたスーパーたち“1強”イオンに飲み込まれたスーパーたち 現在、日本のスーパー業界の売上高はイオングループが頭ひとつ抜き出ています。同グループは、イオンや「イオンスタイル」という総合スーパーのほかにも、都内では「ピーコックストア」「ダイエー」「マックスバリュ(前身はヤオハン)」なども運営しています。 これらはかつて資本的に独立していましたが、お家の事情で現在はイオンの傘下に入っています。ほかに「マルエツ」もイオン系列です。このように、イオンは競合していたスーパーをグループに引き入れることで、巨大化していったのです。 一方で、イオングループ入りにより消えた屋号もあります。そのひとつが「サティ」です。 百貨店に近い総合スーパーだったサティを運営していたのは、大型ショッピングモール「マイカルタウン」や、シネコンの「ワーナー・マイカル・シネマズ」などのブランドでも知られていた「マイカル(旧名はニチイ)」という企業でした。 ところが、マイカルが経営破綻により2011(平成23)年にイオングループに吸収されたことで、従来のサティの店舗は閉店となるか、イオンに姿を変えたのです。 スーパーマーケットのセルフレジ(画像:写真AC) 大手百貨店「松坂屋」系列のスーパーとして、首都圏や愛知県に展開された「松坂屋ストア」も同様です。2007年以降の親会社や運営会社の再編などを経て、2013年にイオングループ入り。それに伴い、松坂屋ブランドが消えるのは当然でした。 フランス発祥で、2000年に日本進出した「カルフール」も今は日本にありません。“ハイパーマーケット”と称した百貨店とスーパーをミックスしたような業態が特徴でしたが、経営不振で早期撤退。日本法人は2005年にイオンに売却されます。以後しばらくは「カルフール」の屋号が残っていましたが、2010年頃にそれも使われなくなりました。 イギリスのスーパー大手「テスコ」が日本進出を目的に、2003年、スーパー「つるかめランド」を運営していた企業を買収したことがありました。従来のつるかめランドのほかに、テスコという屋号の店舗も展開されましたが、2011年にテスコの日本徹底により、イオンに売却されています。 栄華を誇ったダイエーの行方栄華を誇ったダイエーの行方 かつては、一大勢力を築いたダイエーの傘下に入ることで消えたスーパーもありました。 スーパーとコンビニを足して2で割ったような業態だった「ポロロッカ」は、サティと同じマイカル系でした。ところが、マイカルの経営難を機に、イオンではなく当時はダイエーの系列だったマルエツの傘下に。2007年に完全に吸収されることでポロロッカの屋号は消滅しました。 スーパーマーケットのセール(画像:写真AC) 八王子で生まれ、主に首都圏にチェーン展開された「忠実屋」は1994(平成6)年に、百貨店だけではなく総合スーパーのような中規模店舗もあった「十字屋」は2007年に、 それぞれ経営難からダイエーに吸収合併され姿を消しました。 かつて「青楓チェーンストア」と名乗っていたスーパーは1980年代始めに、ダイエーの系列となり、「セイフー」と改称。2006年に「グルメシティ」にリニューアルされますが、2015年にダイエーに吸収され姿を消しています。 しかし結局、ダイエー、マルエツともイオングループに入るという皮肉な結果となります。 うまく行かない外資系の日本進出 一方、経営悪化により、大手の傘下に入ることなく、消滅してしまったスーパーもあります。 カルフールやテスコに先駆けて、1995(平成7)年頃から日本で展開された外資系スーパーに香港の「ウェルセーブ」がありました。都内では町田や成城に店舗がありましたが、わずか3年ほどで日本から撤退しています。 池袋にルーツのあった総合スーパー「キンカ堂」は2010年に倒産。全店舗が閉店となりました。 スーパーマーケットのレジを通過する商品(画像:写真AC) こうして並べてみると、ミレニアム以後の20年間にスーパー業界で大きな地殻変動が起きていたことが理解できます。 あなたの思い出のスーパーは何ですか?
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