なぜ東京の「自転車乗り」は嫌われるのか? その理由を、歴史と制度から考える
公道を走れるが、免許は必要ない――。そんな自転車はよく考えてみると不思議な存在です。日本女子大学人間社会学部准教授の田中大介さんは、この「公と私」の関係性に、現在の自転車とそのユーザの置かれた状況があるといいます。いったいどういったことでしょうか。落ち着きのない東京の自転車 通勤通学や買い物、サイクリングなど、東京では多彩な自転車が街を走り、思い思いに使われ、楽しまれています。ロードバイクが車道を疾走する姿もよく見かけるようになりました。ママチャリとよばれた自転車も電動化し、坂道の多い東京をスイスイと走っています。 都内の繁華街を駆け抜ける自転車(画像:写真AC) 近年では、各地で「自転車まちづくり」といわれる施策が進んでいます。鉄道や自動車と比べて、自転車は ・維持費が安い ・環境にやさしい ・健康に良い ・自由度が高い ・混雑を回避できる など、多くのメリットがあるといわれていることから、自動車や鉄道によって20世紀の都市が生み出してきた弊害を、自転車が解決できると期待されています。 2017年には「自転車活用推進法」が施行されました。東京でも、駅周辺の駐輪場が増え、シェアサイクルが拡大することで、放置自転車は大きく減少しています。また、自転車関連事故も2008(平成20)年の2万2651件から、半数以下になっています。 なお、デンマークのコンサルティング会社が2年に一度実施する「自転車にやさしい都市ランキング」によると、東京の順位は 2011年:4位 2013年:12位 2015年:圏外 2017年:9位 2019年:16位 といった具合に、浮き沈みを繰り返しています。 実際、交通事故全体における自転車関連の事故の割合は、全国平均が2割に対して、東京は3割と多くなっています。事故数そのものは減っているのですが、割合は変わっていないのです。 東京の自転車の走行環境は、評価を上げたり、下げたりと毀誉褒貶の激しい存在です。なぜこのように「落ち着きがない」のでしょうか。 自転車には大きすぎる東京の規模自転車には大きすぎる東京の規模 それはまず、東京がさまざまな意味で「大きすぎる」都市だからだと言えます。 東京の自転車事故の件数は減少している(画像:写真AC) 定義や基準に依りますが、経済圏・通勤圏としての「東京圏」は神奈川、千葉、埼玉などの他県にわたり、人口規模もさまざまなランキングで世界1位です。その結果、東京は、世界でもっとも長距離・長時間の通勤がおこなわれている都市のひとつとなっているのです。 大量の人が長距離・長時間の移動を行ううえで、効率的な交通手段は鉄道です。一方、自転車は、近距離移動において最速の交通手段とされています(国土交通省道路局「自転車利用環境を取り巻く話題」)。 鉄道が東京都市圏の通勤手段として定着し、自転車利用は駅などへの「端末交通」や、「自宅‐私事」の割合が多くなっています。要するに、東京の自転車は、大量の人びとをさばく鉄道という公共交通に付随するかたちで、プライベートに利用され、自生的に成長してきたわけです。線路や道路の脇にどんどんと生い茂る雑草のように増えていったとでもいえるでしょうか。 2000年代以降、自転車通勤の促進が盛んに語られるようになりました。しかし、平均通勤時間が1時間といわれる東京で、自転車のみの通勤は、体力的にも、時間的にも人を選ぶと言わざるをえません。また、自転車で都心に通える距離に住むにはある程度の収入が必要でしょう。先ほど挙げた「自転車まちづくり」は実際、コンパクトシティ政策のひとつでもあるので、「メガシティ東京」とはいささか相性が悪そうです。 自転車には狭すぎる東京の道路自転車には狭すぎる東京の道路 自転車は軽車両だから、車道の左側端を通るのが交通ルールである――1960(昭和35)年制定の道路交通法はこう定めていますが、安全上やむをえない場合は歩道を徐行して通行することが認められています。とくに東京では、大量の物流を担うトラックによって車道が狭くなるうえ、高速で走る大きな車体に恐怖を感じることもしばしばです。 やむをえず歩道を通るにしても、自転車が余裕をもって通れるスペースが確保されているわけではありません。車道を走ればケガをするリスクが高くなりますが、歩道を通れば歩行者にケガをさせるリスクが高まります。電動化してスピードを出しやすくなった自転車であればなおのことです。 その結果、自転車は、歩道と車道のあいだで「落ち着きなく揺れ動く」ことになります。歩道を通れば歩行者に嫌われ、車道を走れば自動車に嫌われる――なんとも気まずい限りです。 だとすれば、自転車がきちんと走ることができる自転車用の道路をしっかりと整備すればいいはずです。実際、この数年で自転車道や自転車専用道路が整備されてきました。ただし道路を拡幅することなく、ペイント標示のみで自動車が通行する場所を示す場所が多数を占めています。 このような標示は、無いよりあったほうがずっといいわけですが、全体のスペースが増えるわけではありません。ヨーロッパの自転車先進都市のように、自動車を中心市街地から排除できない以上、自転車に充てられる交通スペースは限られてしまうのです。また、建築物をセットバックして道路を拡幅するにしても、費用や権利の面でハードルが高くなります。 「公と私」のあいだにある自転車「公と私」のあいだにある自転車 自転車はそもそも、自動車のように教習所に通って免許を取得する必要がありません。かといって、練習せずに乗れるわけでもありません。学校に通うほどではないが、自分なりの練習は必要です。 そのためルールやマナーの習得が、各家庭や個人に任される傾向が強くなるのです。このあたりの「中途半端さ」も自転車が「マナーが悪い!」と批判される原因となっているでしょう。 マナーの悪さの指摘は「中途半端さ」にあり(画像:写真AC) 前述のように、東京の自転車は「自宅‐私事」として使われることが多く、かつその習得も「私的」におこなわれる傾向があります。しかし、自転車は「公道」を走る以上、当然、「公的なもの」でもあります。この「公と私」のあいだの落ち着きのなさも、自転車への風当たりを強めてしまう原因かもしれません。 2015年6月1日(月)に施行された改正道路交通法によって、悪質な違反を繰り返す運転者に「自転車運転者講習」が義務付けられました。また、学校での自転車講習も盛んに開催されています。このようにルールやマナーの周知・徹底が徐々に進んでいるとはいえ、自転車免許制にするにはかなりコストがかかることになるでしょう。 冒頭のランキングを公表している会社は、「東京は長いあいだサイクリストの都市だったが、それはインフラや国、自治体の計画が充実していたからではなく、とにかく多くの人が使っていたからだ」とまとめています。公共交通に張り付くかたちで、なんとなく大量の自転車が――道端の雑草のごとく力強く――増えていった様子をよく表しています。 2000年代以降、国や自治体の施策や先駆的なサイクリストの活動によって、東京は「自転車の都市」としての形を少しずつ整えつつあります。そして、東京の郊外化(スプロール現象)が一段落し、都心回帰が進んでいけば、長距離・長時間通勤が解消され、より「自転車にやさしい都市」になるでしょう。 その一方、東京の人口は増え続け、大都市への一極集中が進んでいます。だとすれば、東京の自転車が大多数の人にとって好ましく、落ち着いた存在になるのはもうすこし先になるかもしれません。
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