かつて「大戸屋」に実在した衝撃サービス 「ふりかけ」ボトルキープをご存じですか?
家庭料理のような素朴さが人気 1年余りにわたった株式公開買い付け(TOB)の攻防で、経済ニュースを騒がしていた外食大手の大戸屋ホールディングス(武蔵野市中町)。 2020年9月上旬にコロワイド(横浜市)が約47%の株式を取得してTOBが成立、今後は子会社化されることになり動向が注目されています。 家庭料理のような素朴な定食が人気の「大戸屋」。1958(昭和33)年開店という、長い歴史を持つ(画像:(C)Google) いつでも定番の味を提供してくれている大戸屋……正確には「大戸屋ごはん処」。 小ギレイな雰囲気のファミレス風な内装で、いつも賑わっている定食屋のチェーンです。でも、ちょっと凝ったメニューもたくさんある現在の大戸屋は1990(平成2)年以降のもの。それ以前の大戸屋というのは、まったく雰囲気が違います。 過去の資料を引用してみましょう。 ※ ※ ※ 開業以来27年間、安さで勝負してきた池袋でも指折りの大衆食堂。豊富な定食メニューはおすすめもんがズラリ。コロッケ定食、あじフライ定食(ともに300円)、あじフライ、たけのこの煮物、くじらの大和煮、目玉焼きにみそ汁がつく「ランチ」(390円)などなど。 桃屋の「ごはんですよ」、丸美屋の「ドクタースランプふりかけ」がキープできるのも魅力。 『ひとり暮らしの東京事典 ’84年版』CBS・ソニー出版 1984(昭和59)年 ※ ※ ※ 開店は1958年、全品50円均一開店は1958年、全品50円均一 一連の経済ニュースでは、大戸屋が2019年4月のメニュー改定で人気メニューだった「大戸屋ランチ」を廃止したことで顧客の足が遠のき、業績が悪化したことが記されています。 このときの大戸屋ランチが税込720円。 70年代にインフレが続き80年代になると物価が高くなったことが社会問題化していたとされますが、それでも先述したランチの価格は安い。そして、メニューの内容が明らかに濃い味で、どんぶり飯をかきこむスタイルの、女性客はやや敬遠しそうな“硬派”な内容です。 「にっぽんの食卓ごはん」を“お手本”に掲げる大戸屋の理念(画像:大戸屋) もともと大戸屋は1958(昭和33)年に三森栄一が池袋駅東口で始めた大戸屋食堂に始まるものです。 当初は、さらに安く全品50円均一という値段設定。そんな店ができればはやらないハズがなく、連日1000人余りが来店する人気店となり、都内各地に支店を出していました。 現在見られる、誰でも入りやすい大戸屋は、1992(平成4)年に吉祥寺店が火災で全焼したのをきっかけに女性でも入りやすい店舗にしたことが始まりです。 なのでかつてを知る人は「昔の大戸屋は今のものとはまったく違った」と言うわけです。 その昔の大戸屋を象徴するのが、前述の引用部分にも記されている「ふりかけのボトルキープ」です。 全品50円均一から始まった大戸屋は1980年代まで、お金のない若者や学生たちのよりどころでした。 超有名女優の「大戸屋」の思い出超有名女優の「大戸屋」の思い出 その歴史をたどるべく当時の記録を探していたら、こんな記述が。 ※ ※ ※ 『大戸屋』の常連イコール金欠というイメージが、私たち学生の間では常識となっていたので、「あの子って、よーく大戸屋に行ってるらしいよ」なんて女の子が噂(うわさ)されてしまうのは、とても格好の悪いことだった。失礼ながら、そういう意味では、ハッキリ言って『吉野家』に一人で入るほうがまだましだったのである。 室井滋『うまうまノート』講談社 2003(平成15)年 ※ ※ ※ 現代の価値観では「営業妨害か!」と思われてしまいそう。 室井滋『うまうまノート』(画像:講談社) 今でこそ昭和なたたずまいの大衆食堂や町中華は新たな価値観で称賛されるものですが、かつてはそうではありません。 とにかく安くお腹を満たしてくれるならば、それでいい……もしおいしかったら得した気分、というノリの時代がありました。 2020年の今ではチェーン店も増えて、美味しさの最低水準というものがあります。でも20世紀の終わり頃までは、味にはあまり重きを置かない店も意外とありました。 そんな中にあって激安なのにおいしい、かつ、ふりかけのボトルキープまでできる大戸屋が絶大な支持を集めるのは当然のことでした。 池袋や高田馬場界隈(かいわい)では「めしは大戸屋、酒は清瀧(せいりゅう。安い居酒屋)」と語り継がれていたわけです。 ボトルキープの期限は何か月?ボトルキープの期限は何か月? さて、大戸屋のボトルキープですが、やり方は極めて単純です。 カウンターの前に輪ゴムで丸いラベルをかけて名前と日付けを書いた瓶詰めが無数に並べられているのです。ボトルキープの期間は3か月。それがある間は、ご飯とみそ汁だけを注文すれば、なんとかしのげるという寸法です。 ちなみに、高田馬場の大戸屋は1980年代前半に改装し「女学生も入りやすくなった」と言われたことがあったといいます。 そんな1980年代ですが、学生街や繁華街には大戸屋と並ぶような安さやおいしさで売る食堂が無数にありました。池袋にあった「まんぷく食堂」、三田の「フジヤ」や「天松食堂」などなど。 本郷の「森川町食堂」や荻窪の「三番」のように、建物は代わりながらも営業しているところはありますが、女性客が入りにくそうなワイルドなスタイルの食堂というのは、21世紀になってすっかり姿を消しました。 いえ、むしろワイルドな雰囲気の残る食堂でも女性客が当たり前に利用するようになり、雰囲気が変わったということでしょうか。今や早稲田の「オトボケ」なんて学校帰りのデートに使ってるカップルもいて、時代は変わったなあ、なんて私しみじみ思いますから。
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