異性の友人という存在が消え、日本の恋愛文化は「恋人 or 他人」の二択になった

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異性の友人という存在が消え、日本の恋愛文化は「恋人 or 他人」の二択になった

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田中大介

日本女子大学人間社会学部准教授

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古今東西、恋愛話は鉄板です。日本女子大学人間社会学部准教授の田中大介さんがそんな恋愛と、東京・メディアの関係性について考察します。

芸能スキャンダルの背景に、好奇と不安の心理あり

 前回の記事(東京とマスメディアが作り上げてきた「恋愛文化」はいったいどこへ行く? 令和の今こそ考える)に引き続き、都市とメディアの関係性について論考を深めていきます。今回は異性の友人の減少や、恋愛文化の行方についてです。

現代の男女間の恋愛イメージ(画像:写真AC)



 インターネットとスマートフォンは効率よく恋人に「なる」、いつでも恋愛を「する」ことができるツールです。その一方、情報を偽ることも容易。つまり、「盛る」と「偽る」の境界があいまいなのです。

 また、このようなメディア環境は浮気や不倫を容易にすると同時に、その記録や複製をも容易にするため、情報は露見しやすくなります。そのようにして発覚した芸能人のスキャンダルは記憶に新しいところです。

 スキャンダルが話題になるのは、現代のメディア環境がもたらすチャンスとリスク、言い換えれば、好奇と不安の心理が背景のひとつにあるように見えます。

超プライベートであり、超パブリック

 議論を整理しましょう。スマートフォンというパーソナルメディアには、

私たちだけの関係 = 個と個の親密空間

に閉じこもるチャンスとリスクが、常時あります。つまり、いつでもどこでも親しい関係を維持できる一方、閉じた関係で拘束しあうこともできるといわけです。

 それと同時に、インターネットという、

みんなの関係 = 匿名の公共空間

に開かれるチャンスとリスクとも隣り合わせです。出会いの機会や範囲は拡大するものの、それが不特定多数の目にさらされることもあるということです。

 インターネット・スマートフォンというメディア特有の「超プライベートであり、超パブリックでもある」という大きな振れ幅は、恋人というあいまいな関係や、恋愛というゆらぎのスリリングさを増幅します。

「インターネットで趣味があう人と出会ったけど、本当はどんな人?」という好奇と不安です。「煮え切らない相手とのお出かけ写真をSNSにアップ」するスリルとリスク。もっと大胆に言えば、まるで「芸能人」のように、大勢の観客に自分たちの恋愛物語を披露する快感を重視する人もいるかもしれません。

 もちろん、公開・流出の「イタさ」やリスクを重視して、SNSに載せない人も多いと思います。またリスクを高く見積もって、恋愛に及び腰になる人もいることでしょう。

恋愛を温めるメディア/恋愛を冷ますメディア

 とは言え、SNS上の「匂わせ」(関係のほのめかし)はそうしたスリルを楽しんでいるようにもみえますし、「私たち付き合ってます」的な発信も、「別れたらどうするんだろう?」というリスクを負うことでふたりの気持ちを高めるスパイスにもなっているようにみえます。

 お互いの名前をタトゥーにするような感じでしょうか。逆に、ものすごく乗客の多い乗物のなかで、いちゃつかれる気分になる人もいるかもしれません。

現代の男女間の恋愛イメージ(画像:写真AC)

 現代のメディア環境は、恋愛文化を上記のように加熱する一方で、冷却することもありそうです。街に出かけなくても、家でコンテンツを楽しめますし、恋愛より楽にアクセスできるエンターテインメントも多くあります。

 実際、異性の交際相手のいない未婚者の割合は2010年の男性約60%、女性約50%から、2015年には男性約70%、女性約60%へと上昇しています。

「異性の友人」の減少と恋愛文化のゆくえ

 短期的には、この変化を「草食化」や「恋愛離れ」とみなすこともできます。しかし中長期的には、平成前期の恋愛文化が過熱気味だっただけと言えそうです。

 たとえば、国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」の前身である1983(昭和58)年の「出産力調査」では、婚約者・恋人のいる未婚者の割合は、男性約22%で現在の約21%とあまり変わりません。しかし女性は約24%で、現在よりも6%ほど低い水準です。

 お見合い結婚と恋愛結婚の割合が逆転したのは1970年頃で、1980年代は現在と比べると初婚年齢が低く、交際期間も短くなっています。つまり恋愛の比重が低く、それに費やす期間も短かったのです。

現代の男女間の恋愛イメージ(画像:写真AC)



 急激な変化としてより注目すべきは「異性の友人がいる割合」です。1983年の「出産力調査」では、18~34歳までの未婚者で、婚約者・恋人以外の「異性の友人がいる割合」は男性36.8%、女性41.8%でした。

 しかしこれ以降、減少を続け、2015年の「出生動向基本調査」では男性5.9%、女性7.7%に激減しています。先述の「出産力調査」は、「異性の友人」というカテゴリーのなかで「婚約者、恋人、その他の友人」を区分しています。しかし、「出生動向基本調査」では、「異性との交際」というカテゴリーのなかに「婚約者、恋人、友人」という区分があります。便宜的なものでしょうが、前者は「友人のなかの恋人」という区分で、後者は「友人と恋人は別」という区分なのです。

「異性の友人」という境界線

 こうした割合の変化とカテゴリーの変化を、次のように解釈することもできます。

 1980年代は、「異性の友人」という関係の振れ幅と選択肢のなかで恋人を絞っていくことができました。そこにはバブル期に「アッシー」や「メッシー」と呼ばれた人々もいます。このように恋人と友人のあいだに「あそび」の領域があることで、バブル景気もあいまって、恋愛文化とそれに刺激された都市的な消費が熱に浮かされたように活性化したと言えそうです。

 しかし、2010年代になると「異性の友人」という関係の「余地」や「溜め」がなくなります。つまり、異性は「恋人か、さもなくば他人」というような二者択一の存在になっていったのです。

 極端に考えれば、私服の男女が一緒にいるとすぐに「付き合ってるの?」と思われてしいまうということです。1990年代に景気が後退する一方、恋愛文化が肥大し、「友人」の定義や範囲が変わったためかもしれません。

 女性が、かつて「一般職」に期待された「お嫁さん候補」ではなく、ライバルの「同僚」になったこともあるでしょう。地域社会の流動化や匿名化という原因を考えられます。いずれにせよ、恋愛は階段を徐々に上るというよりも、ハードルを一気に越えるゲームになったと考えられます。

「平熱」に戻った恋愛文化の行く末は?

 筆者が専門とする社会学(田中大介。日本女子大学人間社会学部准教授)では、現代日本の女性は「上昇婚」を望む傾向があるといわれます。結婚は、女性の経済力や社会的地位を上げるライフイベントだとされます。

現代の男女間の恋愛イメージ(画像:写真AC)



 また現代の未婚化の原因は、女性の社会進出と男性の雇用不安、そして両者の理想と現実の乖離だともいわれます。恋愛を結婚の前段階にあるものと考えれば、現代の恋愛は競争が激しく、ハードルがずいぶんと上がっているのです。

 では今後、恋愛文化はどのようになっていくのでしょうか。「恋人」に効率良く出会えそうなアプリを利用し、「友人」の幅を広げる都市的な場所に出かけることで、再び活性化するのでしょうか。

 他にもさまざまな方策があると思いますが、こんな「割の合わないゲーム」から降りることもできます。過熱気味だった平成前期の恋愛から、「平熱」に戻っていった現代の恋愛文化の行く末はまだ見えていません。

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