80年代に到来したスキーブーム! 若者たちは一心不乱に「神田神保町」へ集った
1980年代に起こったスキーブーム。そんなブームと大きく関わっていた東京の場所が神保町です。当時の熱狂とはいかほどのものだったのでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。神保町がにぎわった珍事 ウィンタースポーツの王様といえば、かつてはスキーでした。その全盛期、多くの若者が足を運んだのが、神田神保町(千代田区)のスキー用品店街でした。 神田神保町のスキー用品店街。2020年撮影(画像:(C)Google) このエリアにスキー用品店が増加したのは1980年代前半のこと。それまで一帯は純然たる学生街といった雰囲気で、目立つのは古書店程度でした。 1970年代半ばの政治の季節が終わると、大学生は学生生活の多くを余暇に注ぐようになります。そうしたなか、学生街の神保町にはスキー用具をはじめとするスポーツ用品店やオーディオ用品店が数多く登場しました。1980年代初頭のことです。 初期の神保町スキー用品店街の様子は、このように報じられています。 「かつての古本屋街からスポーツ用品店街へと変身したかのように、表通りにスキー用品店が並ぶ。その一軒、ヴィクトリアJOYスキー用具館は、16日昼過ぎから店内が客でごった返した。「ひやかし」は少なく、ほとんどが現金を手にした買い入れ組。スキー板では9万円前後、靴も7.8万円と輸入ものの高級品に人気が集中した。(中略)高級品志向に乗って、若者たちのポケットから一万円札が無造作につかみ出される」(『朝日新聞』1984年12月17日付朝刊) スキーブームといえば一般的にバブル期のイメージですが、実はその数年前から始まっていたのです。 ハードなスキー用品業界 スキーブームの始まりは1980(昭和55)年頃とされています。 同年に関越自動車道の長岡JCTが開通し、北陸自動車道との接続が完了。その後、1982年の上越新幹線の開通と、ゲレンデへの交通アクセスは次第に向上していました。 ちなみに1980年には、名曲『サーフ天国、スキー天国』『恋人がサンタクロース』が収録された松任谷由実のアルバム『SURF&SNOW』が発売されています。 松任谷由実『SURF&SNOW』(画像:ユニバーサルミュージック) スキー人口は1980年代を通じて増加し続け、そのピークは1993(平成5)年の1770万人でした。なんと日本国民の約9人にひとりはスキーをしていたのです。前述のようにスキー用品店が人でごったがえし、現金が飛び交う事態が生まれるのも当然です。 しかし、スキー用品ビジネスはかなりハードでもありました。スキー商戦のピークは12月頃で、夏にバーゲンを行って前年の在庫を処分。新製品は8~9月から並び始めるため、新製品が正価で売れる時期は極めて短いのです。 しかもライバル店が多く、値引き合戦は当たり前。客もそれを知って買い物にくるのですから、1円でももうけたい店側と1円でも安く買いたい客側の熱気が、街にさらなる活気をもたらしていました。 スキーウエアのファッション性も加速スキーウエアのファッション性も加速 その年の気候条件も商売に大きく影響しました。 暖冬で雪が少なければ、売り上げはたちまち減少します。1988(昭和63)年は特に暖かく雪不足が続いた時期でした。そのため値引き合戦は12月から始まり、若者たちの注目を集めました。 そんななか、スキーウエアのファッション性も重視されるようになります。当時はド派手な蛍光色のスキーウエアが「標準」だったことはよく知られていますが、そのなかでもぶっ飛んだスキーウエアも生まれています。 1987年に公開され、大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』のワンシーン(画像:ホイチョイ・プロダクション、ポニーキャニオン、シネフィルWOWOW) もっとも凄かったものは、1988年に西武百貨店とミズノ(当時は美津濃)が共同開発した透明ウエアです。これはナイロン100%と塩化ビニール製ふたつの種類がありました。一般的な繊維より紫外線を7倍通すため、水着を着た上に羽織るとスキーをしながら日焼けが楽しめるというものでした。 まるでバラエティー番組企画のようなウエアですが、着たことがある人がいたらぜひ話を聞いてみたいものです。
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