百貨店閉店を発表した「立川高島屋」――その歴史は「立川の商戦と街づくりの遍歴」でもあった
小田急百貨店新宿店の本館が2022年10月2日に閉店(小田急百貨店新宿店は小田急ハルクに移転営業)しました。都心の大型店舗閉店は寂しい限りですが百貨店の激戦地、立川でも大きな変動が見られます。1970年に開店した立川高島屋が閉店発表したのです。小田急百貨店についても解説した都市商業研究所の若杉優貴さんが解説します。「専門店ビル化」を発表した立川駅前の高島屋 JR立川駅近くにある百貨店「立川高島屋」が、2023年1月に百貨店としての営業を終了することを発表しました。一方で高島屋は立川から完全撤退するわけではなく建物の保有を継続。百貨店の売場跡に新たなテナントを誘致し、今後も「立川高島屋S.C.(ショッピングセンター)」としてビルの運営は続けるといいます。
脱・百貨店業態で新たなスタートを切ることになる立川高島屋。実はもともと別の場所にあり、そして永年にわたって立川駅前エリアの地域一番店だったことをご存じでしょうか。
今回は、立川高島屋を中心とした立川駅前エリアの戦後商戦の歴史をたどっていきましょう。
立川高島屋。来年、専門店ビルへと生まれ変わります。(画像:若杉優貴)かつて高島屋は「地域一番店」だった――その歴史は「商戦と街づくりの遍歴」 立川高島屋は立川駅北口に1970年に開店。立川高島屋はもともと1961年に開店した「銀座デパート」(核店舗として高島屋系のスーパーが入居)が前身で、同店はこれを増改築することで百貨店化したものでした。
実は、かつての立川高島屋は現在よりも立川駅寄り――というよりも立川駅に隣接した場所(現在のルミネ西側付近)に立地。西側にはスーパー「いなげや」の創業地でもある立川銀座商店街がありました。
この立川高島屋の歴史は立川駅前エリアの発展の、そしてライバル・伊勢丹立川店との商戦の歴史でもありました。
かつての立川地域の中心は甲州街道沿いの柴崎で、立川駅前エリアは駅開業後に生まれた比較的新しい市街地。戦時中、軍需工場があった立川は激しい空襲に遭った一方で駅前エリアの被害はそれほど大きくなかったため、戦後は多摩地区のなかでもいち早く復興を遂げ急成長することになります。そうしたなか、1947年に駅北口に開業したのが「伊勢丹立川店」でした。
伊勢丹立川店は伊勢丹初の郊外ミニ支店で、新宿本店の大部分が米軍に接収された伊勢丹にとって立川店は小さいものの重要な収益源であったと思われます。1956年には増床してフルラインの百貨店「伊勢丹立川店」としての営業を開始。高島屋が増床開店した1970年には対抗するかたちで移転・大規模増床をおこなったものの(現「ビックカメラ立川店」の建物)、駅に隣接する高島屋の後塵を拝することになりました。
立川駅北口にあるビックカメラ。もともと伊勢丹の建物だった。(撮影:佐藤庄一郎) これと前後して、1960年代に入ると立川駅前エリアに大型店が相次いで出店します。
1962年に専門店中心の「中武デパート」(現「フロム中武」)が開業したのを皮切りに、1966年に専門店中心の「第一デパート」(米軍タンク車火災跡を再開発、2012年閉店、現「タクロス/ヤマダデンキLABI」などがある場所)が、1968年に大手スーパー「長崎屋」(1995年閉店、第一デパート隣)が、さらに伊勢丹・高島屋増床と同年の1970年に大手スーパー「ダイエー立川店」(2014年閉店、現「ドン・キホーテ」の建物)、若者向け百貨店「丸井」(モディを経て2012年閉店、ロフトが出店したが2019年移転閉店、現ブックオフなどが出店する「イイノ立川」の建物)が開店。立川駅前は一気に「多摩地区一の商業エリア」へと変貌を遂げ、激しい商戦が繰り広げられることとなりました。
競争激しい立川駅前・丸井跡。 駅ビル完成などで劣勢となった丸井はモディを経て2012年に閉店、2022年現在は「イイノ」として営業。商戦は今も続く。(画像:若杉優貴) 商業施設間の競争は激化した一方、高島屋は立川駅前エリア全体の集客力向上により順調に売り上げを増やしていき、こうしたなかでも立川市内で最も売り上げが多い大型店であり続けました。
キッカケは「基地跡再開発」――伊勢丹「駅チカ移転」で形勢逆転! 1970年代後半以降はオイルショックと大店法施行を経て以前ほど大型店の新規出店が容易ではなくなったものの、立川駅前エリアは1977年の米軍立川基地返還に伴う再開発事業によってさらなる変化を遂げます。
立川基地跡の西側には1983年に都市公園「国営昭和記念公園」が開園。そして立川駅に近い東側には1980年代以降に合同庁舎や総合病院などが、そして駅に最も近い南東側には1990年代中盤までに複合商業エリア「ファーレ立川」が整備されました。また、基地跡再開発と同時期の1982年には立川駅ビル「ウィル」(1992年「ルミネ立川」に改称)も開業しています。
地域一番店だった立川高島屋はこの基地跡再開発事業に呼応するかたちで、1995年に駅隣接地からファーレ立川内の大型商業ビル「立川TMビル」の核テナントとして移転・再増床。立川駅からは少し遠くなったものの、店舗面積は32,007㎡(専門店含む)と、移転前の2倍以上の規模になりました。
一方で、この基地跡再開発に合わせた立川駅北口駅前土地区画整理事業に伴い高島屋旧店舗跡地周辺についても再開発が決定。そして2001年、立川駅前に新たに建設された駅直結の建物の核店舗として出店したのは――高島屋のライバル・伊勢丹でした。
緑川通りを挟んで右側が高島屋、左側が伊勢丹・立川駅方面。(画像:若杉優貴) 半世紀近くにわたって地域二番店だった伊勢丹にとって「高島屋よりも駅チカ」という好条件での移転は願ってもないチャンスとなりました。しかも店舗面積も37,583㎡と、高島屋よりも広い売場を確保することに成功します。
この伊勢丹の増床移転によって、立川駅から最短で高島屋に向かうには「伊勢丹の店内(もしくは店舗横)を通る」ことに。伊勢丹と高島屋は百貨店向けアパレル・化粧品を中心に重複ブランドも少なくなく、地域一番店であった高島屋は二番店へと転落。さらに、1999年には立川駅南口にJR東日本と阪急の合弁による「グランデュオ百貨店」が出店したほか、2015年には高島屋から約2キロほど北側に市内最大の大型店「ららぽーと立川立飛」が開業するなど、商戦はさらに激化することとなります。
JR立川駅(左)とデッキで直結された「伊勢丹立川店」(右)。 かつては左奥に第一デパート、正面に長崎屋、左側に高島屋があった。 暑い夏、駅から高島屋へ行くには伊勢丹の店内を通るのが最適解。(画像:若杉優貴) こうしたなか、立川高島屋は経営効率化をめざして2015年に高島屋傘下のショッピングセンター運営会社「東神開発」(玉川高島屋・流山おおたかの森などを運営)の運営に移行。2016年には大型テナントとして「ジュンク堂書店」が出店するなど徐々に百貨店の直営売場を減らしていき、2018年10月には売場の半分以上を専門街に転換した「立川高島屋S.C.(ショッピングセンター)」としてリニューアルしました。
2022年8月時点の立川高島屋は地階・1階・2階の一部・3階のみを百貨店として営業、それ以外のフロアには「ニトリ」「ユザワヤ」などの専門店やレストラン街が出店しています。
立川高島屋とその周辺図。(国土地理院の空中写真を加工・加筆して作成) 今回、2023年1月の閉店を発表したのはこの地階・1階・2階の一部・3階に残っていた百貨店部分。この部分には今後新たな専門店を誘致する計画で、これにより立川高島屋S.C.は全館が専門店街へと生まれ変わることになります。
なお、立川高島屋が入居する立川TMビルは、開店当初は面積の約半分を高島屋グループ以外の企業が所有していましたが、高島屋は2014年に約120億円を投じて全区画を取得しています。立川高島屋が高島屋系列の専門店街として営業を続ける背景には「建物がまだ新しく自社ビルであるため」ということが大きいでしょう。
それでは、専門店街化後の立川高島屋S.C.はどういったテナント構成が予想されるのでしょうか。「立川高島屋の未来」についても、機会を改めて考察してみたいと思います。
参考:
多摩スリバチ学会(2021)「多摩武蔵野スリバチの達人」昭文社
高島屋史料室
立川市ウェブサイト
三井住友トラスト不動産ウェブサイト
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