誰でも一度は考える? 地下鉄「丸ノ内線」の地上区間はなぜ長いのか
地下鉄は必ずしも地下だけを走っていない 進学や就職を機に上京し、東京で新生活を始めた人はさまざまなことに戸惑います。あまりの人の多さに「今日はイベントでもあるのか」と勘違いしてしまうのは、もはや「あるあるネタ」といってもよいでしょう。 そんな上京者がもっとも驚くものと言えば、複雑な鉄道路線ではないでしょうか。なにしろ東京の路線数は多く、ホームもいったい何番まであるのか……などなど。 今でこそ道案内のスマートフォンアプリが懇切丁寧に教えてくれますが、昔は「本当にこの電車に乗って間違いないのか……」とドキドキしたものです。 慣れるまで時間がかかるのは、都内を縦横無尽に走る地下鉄路線です。とりわけ上京者を混乱させるのは、地下鉄が必ずしも地下を走っていないということ。 東京の地下鉄は東京メトロの9路線と都営地下鉄の4路線、あわせて計13路線。しかし、このうちすべての区間で地下を走っているのは南北線と半蔵門線(東京メトロ)。大江戸線と浅草線(都営地下鉄)の4路線だけで、地上部分も走る地下鉄のほうがむしろ多数なのです。 渋谷駅は特にわかりやすい 中でも堂々と地上を走っているのが、東京メトロの銀座線と丸ノ内線です。 地上を走る丸ノ内線(画像:写真AC) 銀座線の渋谷駅は地下鉄にもかかわらず、なぜか駅の3階に位置しています。地下を走っているはずが、「次は終点の渋谷です」というアナウンスに次いで見えてくるのは華やかな渋谷の街――。 逆に渋谷駅から銀座線へ乗ろうと思ったとき、案内図に従って歩けば矢印は上へ。上京したばかりの人であれば「地下鉄なのになぜ?」と混乱必至です。 とりわけ、銀座線の渋谷駅は2020年に新駅舎へとリニューアルされ、開放感のあるおしゃれなホームになりました。世界に知られる渋谷・銀座・浅草の3エリアをつなぐ路線ならではの都会感あふれるホームですが、知らない人が見たら地下鉄のホームとはわかりません。 丸ノ内線は「地上を走る地下鉄」の王者?丸ノ内線は「地上を走る地下鉄」の王者? 筆者は上京して池袋近辺にしばらく住んでいたこともあり、初めて乗った地下鉄は丸ノ内線でした。 「これが有名な丸ノ内線か~」とわくわくしながら乗っていたところ、茗荷谷駅が近づくと、いきなり明るい景色が見えたので思わずびっくり。地下鉄路線図に「この部分は地上を走ります」と書いているわけでもなく、脳内は当然「???」という状態でした。 地下鉄が地上を走る理由はさまざまですが、銀座線や丸ノ内線が地上区間を走るのは、なによりも起伏の多い地形にあります。プラス、地下の浅いところに路線がつくられているからです。 2010年に出版された『東京メトロをゆく』(イカロス出版)には、各路線の ・開削工法 ・シールド工法 ・地上区間 の割合も掲載されています。 2010年出版『東京メトロをゆく』(画像:イカロス出版) 開削工法とは「両側に沿って鉄くいを打ち込み、その上にH型の鉄の桁をかけて鉄板を敷き、路面交通に支障がないようにした後、地上から掘り進む」(日本民営鉄道協会ウェブサイトより)工法で、シールド工法とは「地上から開削せずに地下を掘り進み、前面を盾(たて)のようなもので押さえながら、まわりを鉄筋コンクリートなどで囲めてトンネルを完成させる」(同)工法です。 これによると、銀座線は ・開削:97% ・シールド:2% ・地上区間:1% で、丸ノ内線は ・開削:92% ・シールド:1% ・地上区間:7% となっています。こうしてみるとかなりの区間で地上を走っていることがわかります。 もちろん、 ・日比谷線:14% ・東西線:43% といったように、丸ノ内線より地上区間の長い路線はあります。しかしどちらも都心を少し離れてから地上区間になります。 そのため、山手線の内側という東京のど真ん中で堂々と地上に出る丸ノ内線は、「地上を走る地下鉄」の王者にふさわしいと言えるでしょう。 丸ノ内線における路線の選定理由 そんな丸ノ内線ですが、路線の選定は多くの議論を得て決定されました。 その過程は東京メトロの前身である帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が発行した『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』(1960年)で詳しく解説されています。 この本はメトロ文化財団(千代田区神田須田町)の運営するサイト「メトロアーカイブアルバム」にて電子ブック形式で公開されており、誰でも読むことができます(ほかの路線についても公開されています)。 電子ブック形式で公開されている『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』(画像:メトロ文化財団)『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』によると、例えば最初の工事区間である池袋~御茶ノ水間は1946(昭和21)年末から翌年にかけて行われた、戦災復興院主催の地下鉄計画競技会で議論を行い、路線を決めています。 ここでは、区画整理で新設される道路の下に地下鉄を建設することとともに、茗荷谷から春日方面の区間を地上線とする枠組みが決められています。 路線の詳細はこの枠組みの下で決められますが、このとき、現在の後楽園~本郷3丁目間の坂は急勾配のため、地下を走るなら大規模なトンネルになることと、途中で都電を横断することから、茗荷谷方面から長い距離を高架で建設することが決まっています。 さらに「地上線部を取り入れることは建設費の大きな節減になる」という理由にも触れており、経費節減の目的もあったこともうかがえます。 「単に浅い場所を走るから」だけではない「単に浅い場所を走るから」だけではない この建設過程で気になるのが、後楽園駅です。 後楽園駅は地下鉄にもかかわらず、地上を走る丸ノ内線の「名所」ともいえる駅です。『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』では、将来「第5号線(現・東西線)と接触連絡する計画がある」ことを理由のひとつとして、高架式で建設したと記されています。 後楽園駅(画像:写真AC) 戦災復興院が当時告示した「東京復興都市計画高速鉄道」では、現在の東西線と異なり、高田馬場から先は水道橋~大手町を通るとされていました。 その後の計画進展で現在の路線になったわけですが、最初の計画では後楽園駅周辺に高田馬場方面からの路線が接続されていたことになります。もしこの計画が進んでいたなら、こちらもまた地上区間の多い路線となったのではないかと考えられます。 丸ノ内線の地上区間の長さには、「単に浅い場所を走るから」だけではない複雑な理由がありました。こうした知識を持って乗車すると、なんだか楽しくなりませんか?
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