オープン初日に15万人が押し寄せた「恵比寿ガーデンプレイス」の衝撃――三越2月閉店で今後どうなる?

  • 未分類
オープン初日に15万人が押し寄せた「恵比寿ガーデンプレイス」の衝撃――三越2月閉店で今後どうなる?

\ この記事を書いた人 /

本間めい子のプロフィール画像

本間めい子

フリーライター

ライターページへ

話題となった2月28日の三越恵比寿店の閉店をきっかけに、恵比寿ガーデンプレイスの歴史についてフリーライターの本間めい子さんが振り返ります。オープン当初はどのような盛り上がりを見せたのでしょうか。

三越恵比寿店の閉店

 恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区恵比寿)内の百貨店・三越恵比寿店が2021年2月28日(日)、26年にわたる歴史に終止符を打ち、大きな話題となりました。

 同店は、1994(平成6)年10月の恵比寿ガーデンプレイスのオープンとともに誕生。渋谷から六本木までのファミリー層をターゲットにした、「住みたい街」としての恵比寿を象徴するような輝かしい店舗でした。

 バブル景気の崩壊とともにやってきた暗い90年代で、恵比寿ガーデンプレイスは明るい話題を提供してくれた数少ない、希望のある再開発でした。

敷地内の「億ション」に殺到した人たち

 サッポロビールの工場跡地を利用した再開発が着工したのは、1991年8月のことです。

 完成が近づくにつれて、21世紀を先取りしたような計画には多くの期待が寄せられました。なにしろ、敷地の6割を広場や緑地とし、オフィスビルやショッピング街、マンション、さらには東京都写真美術館(目黒区三田)や映画館のような文化施設も入ることになっていたからです。

 この期待値の高さを如実に表していたのが、オープン4か月前の1994年6月に募集が始まったマンションの分譲です。

 マンションの最上階からは、晴れていればレインボーブリッジはもちろんのこと、房総半島まで見え、窓の下には緑豊かな風景――という都心では二度と手に入らないような眺望です。

 その価格は4億860万円。今見るととても高価ですが、「バブル時だったら10億円はくだらなかった」と、異常なまでの好景気を知る人たちは「むしろ安い」と物件に飛びついたのです。

 1994年は不況の最中でしたが、応募者は殺到。もっとも倍率が高かったのは3LDK(107平方メートル)の1億4930万円の部屋で、倍率はなんと123倍に上りました。2億円の部屋でも倍率は50倍を超え、最高価格の4億円台の部屋も9倍でした。

恵比寿ガーデンプレイス(画像:写真AC)



 そんな人気の一方で『朝日新聞』1994年6月7日付の記事では、4億円台の部屋を見学した記者が

「バルコニーには洗濯物や布団は干せない。花の小鉢も危険防止のため置けない規則になっている。と聞いて“なあんだ”と思った」

と記しています。

 現代ではタワーマンションの常識ですが、タワーマンションをまだ知らない20世紀の人たちの間では「布団も干せないところには住めない」という意見が根強かったのです。

オープン3か月で350万人が来場

 実はこの頃、高層建築物に不安を持っているのは住人だけではありませんでした。

『読売新聞』1994年9月8日付では、この年に完成した恵比寿ガーデンプレイスタワーや新宿パークタワー(新宿区西新宿)に関する記事で、新宿の20階以上のビルで働くビジネスマンの5人にひとりが「高所恐怖症を自覚する」と答えていることを取り上げ、

「地震や火災への不安が強い中、超高層ビルでは“地に足がついた”仕事はなかなかおぼつかないのかも知れない」

と結んでいます。

 現在ではそんなことを言う人はいませんが、かつての日本には「高層階は火事が危ない」という防災意識がありました。「危ない」というのは、いざというときに脱出しにくいという意味です。

恵比寿ガーデンプレイスの展望スペースからの眺め(画像:写真AC)



 90年代になると、大企業が都心の自社ビルを高層オフィスビルに建て替えて、自社以外のテナントを入れる事例は増えていましたが、自社は下層階に入っているという事例もありました。

 1981(昭和56)年から週刊漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で連載されている『気まぐれコンセプト』では、これをネタにして、老人の重役が「火事が危ない」からと企業が下層階に入る説を描いています。

 こうして振り返ってみると、当時の日本人の感覚はまる異星人のよう。「写真を撮影すると魂を抜かれる」に似たような感覚と言ってよいでしょう。

 そんな時代に誕生した恵比寿ガーデンプレイスが耳目を集めるのは当然でした。

 恵比寿ガーデンプレイスには10月のオープン初日だけで、約15万人もの人たちが詰めかけました。その後、年末までに来場者はのべ350万人、平日には5万人、土・日曜には7万人以上が来場。都心にはなかった洗練されたヨーロッパのような光景は、不況時代ゆえに、またとない好景気な場所として注目されたのです。

今後、街の雰囲気はどのように変わるのか

 そんな恵比寿ガーデンプレイスのメイン客層は30代でした。

 フランスからやってきた三つ星レストランがある一方、前述の三越は出店時に計画していた高級品中心の品ぞろえを変更。食品売り場には集中レジを設けて、リーズナブルな雰囲気を演出しました。

 新しい街に憧れてデートにやってくる若者も大勢いました。1994年のクリスマスには、店舗が社会人カップルでにぎわう一方、大勢の学生カップルは公園スペースで缶コーヒーを手に、クリスマスツリーを眺めていました。

恵比寿ガーデンプレイス(画像:(C)Google)



 こうして恵比寿ガーデンプレイスは都心の再開発の先行例となり、同時に建物の高層化に人たちが慣れる入り口ともなったのです。そのときから存在した三越の閉店は、ひとつの時代が終わったことを感じさせます。

 今後、跡地にはスーパーマーケットのライフと明治屋、トモズが入店予定です。果たして街の雰囲気はどのように変わっていくのでしょうか。

関連記事