オープン初日に15万人が押し寄せた「恵比寿ガーデンプレイス」の衝撃――三越2月閉店で今後どうなる?
2021年3月23日
知る!TOKYO話題となった2月28日の三越恵比寿店の閉店をきっかけに、恵比寿ガーデンプレイスの歴史についてフリーライターの本間めい子さんが振り返ります。オープン当初はどのような盛り上がりを見せたのでしょうか。
三越恵比寿店の閉店
恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区恵比寿)内の百貨店・三越恵比寿店が2021年2月28日(日)、26年にわたる歴史に終止符を打ち、大きな話題となりました。
同店は、1994(平成6)年10月の恵比寿ガーデンプレイスのオープンとともに誕生。渋谷から六本木までのファミリー層をターゲットにした、「住みたい街」としての恵比寿を象徴するような輝かしい店舗でした。
バブル景気の崩壊とともにやってきた暗い90年代で、恵比寿ガーデンプレイスは明るい話題を提供してくれた数少ない、希望のある再開発でした。
敷地内の「億ション」に殺到した人たち
サッポロビールの工場跡地を利用した再開発が着工したのは、1991年8月のことです。
完成が近づくにつれて、21世紀を先取りしたような計画には多くの期待が寄せられました。なにしろ、敷地の6割を広場や緑地とし、オフィスビルやショッピング街、マンション、さらには東京都写真美術館(目黒区三田)や映画館のような文化施設も入ることになっていたからです。
この期待値の高さを如実に表していたのが、オープン4か月前の1994年6月に募集が始まったマンションの分譲です。
マンションの最上階からは、晴れていればレインボーブリッジはもちろんのこと、房総半島まで見え、窓の下には緑豊かな風景――という都心では二度と手に入らないような眺望です。
その価格は4億860万円。今見るととても高価ですが、「バブル時だったら10億円はくだらなかった」と、異常なまでの好景気を知る人たちは「むしろ安い」と物件に飛びついたのです。
1994年は不況の最中でしたが、応募者は殺到。もっとも倍率が高かったのは3LDK(107平方メートル)の1億4930万円の部屋で、倍率はなんと123倍に上りました。2億円の部屋でも倍率は50倍を超え、最高価格の4億円台の部屋も9倍でした。

そんな人気の一方で『朝日新聞』1994年6月7日付の記事では、4億円台の部屋を見学した記者が
「バルコニーには洗濯物や布団は干せない。花の小鉢も危険防止のため置けない規則になっている。と聞いて“なあんだ”と思った」
と記しています。
現代ではタワーマンションの常識ですが、タワーマンションをまだ知らない20世紀の人たちの間では「布団も干せないところには住めない」という意見が根強かったのです。

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