ポール・マッカートニー『バンド・オン・ザ・ラン』――76歳のレジェンドが走りだす両国国技館 墨田区【連載】ベストヒット23区(15)
2012年開業も、目立たぬ「スカイツリー曲」 東京23区それぞれにまつわるヒット曲を探っていくこの連載も、早くも15区目。子どもの頃から、好きなものは後に食べる性分です。港区や中央区のような、食べやすそうな区を後に回して、今回は墨田区に果敢に挑戦します。 両国国技館の外観(画像:写真AC) 今や墨田区と言えば、東京スカイツリーです。調べたら2012年開業なので、もう8年もたつんですね。開業当時、あれほど話題になったのだから、スカイツリーにちなんだ楽曲は無いものかと検索してみたのですが。 京一夫&ちづる『東京スカイツリーの歌』、なでしこ姉妹『TOKYOスカイツリー音頭』、相原ひろ子『東京スカイツリー音頭』(なでしこ姉妹とはほぼ同名異曲)と、すいません、正直よく分かりません。天下の西郷輝彦『夜空のスカイツリー』という曲もありましたが……。 対する東京タワーには、松任谷由実『昨晩お会いしましょう』(1981年)に収録された『手のひらの東京タワー』という名曲があります。当時のユーミンならではのプログレッシブなコード進行に、当時のユーミンならではのロマンチックな言葉を乗せると、1981(昭和56)年の段階でも少し古ぼけていた東京タワーがキラキラと輝き出します。 「THE ALFEE」ファンにはおなじみの高校も「THE ALFEE」ファンにはおなじみの高校も 誰か『手のひらの東京スカイツリー』を書いてくれないかと思いつつ、次に東京スカイツリーの北側に位置する、ある都立高校に注目します――東京都立墨田川高校(墨田区東向島)。 墨田川高校の外観(画像:(C)Google) その名の通り、隅田川に程近いキャンパスを持つ高校。あ、ちなみに墨田区、本来なら「隅田区」になるはずが、当時「隅」の字が当用漢字に入っていなかったことなどから「墨田区」になったそうです。現在、川の名は「隅田川」、高校名は「墨田川高校」。 この名前にピンと来た人は、かなりの音楽通か、もしくは「アル中」でしょう。この場合の「アル」は、「アルコール」ではなく「アルフィー」。 「THE ALFEE」の坂崎幸之助の出身校が、この墨田川高校なのです。そして、墨田川高校のフォークソング部は、同校の公式サイトによれば、「1970年ごろ、現在『THE ALFEE』で活動中の本校卒業生でもある坂崎幸之助さんが作った(当時は同好会)歴史ある部活動」なのだそうです。 坂崎幸之助は出身も墨田区で、ご実家は墨田区立花にあるお酒屋さん(現在は閉店)。墨田区出身で墨田川高校ですから、生粋の「墨田っ子」になります。立花というエリアの最寄り駅は東武亀戸線の「東あずま」。この駅名、東武線ビギナーには「あずま・あずま」と誤読しますね(正解は「ひがし・あずま」)。 リハで春日野理事長を締め出しの衝撃リハで春日野理事長を締め出しの衝撃 墨田区の地図上、西の端に目を移すと、東京スカイツリーと並ぶ墨田区の顔 = 両国国技館があります。地名は「墨田区横網」。「なるほど、相撲の聖地だけに地名も『よこづな』かぁ」と墨田区ビギナーは誤読しがちですが、よく見てください。「横網」=「よこあみ」なのです。これ引っかけ問題。 両国国技館コンサートのこけら落としとなったのは、1985(昭和60)年3月31日~4月1日に行われた甲斐バンド「BEATNIK TOUR in 両国国技館」でした。 そもそも甲斐バンドは、箱根芦ノ湖畔(1980年)、花園ラグビー場(1981年)、新宿副都心(1983年)など、一風変わった場所でコンサートを好んで仕掛けて来たバンドだったのですが、両国国技館のこけら落としも、そういう志向の延長線上にあったのでしょう。 両国国技館の名物弁当「やきとり弁当」(画像:写真AC) このコンサートには、ちょっとした逸話があります。朝日新聞デジタルの記事「『ヒーローになる前』甲斐バンド下積み時代ギャラ百円」(2019年12月13日付け)に「両国国技館のこけら落としに登場。当時の春日野理事長をリハーサルから締めだして激怒される」とあります。春日野理事長と言えば当時の相撲界のドン。さぞかしもめたことでしょう。 英国リバプール出身の「横綱」とは?英国リバプール出身の「横綱」とは? と、松任谷由実、THE ALFEE、甲斐バンドを素通りしても、この人が「ベストヒット墨田区」なら、どこからも文句はないでしょう――ポール・マッカートニー。 2018年の11月15日、両国国技館で行われたポール・マッカートニーのコンサートを、運よく見ることができました。開場までに時間がかかり、1時間遅れで始まったのですが、その熱っぽいパフォーマンスに、自身もお相撲さんのような恰幅(かっぷく)の紳士も、升席でスタンディング。 76歳のレジェンドは至って元気で、「ドスコイ!」「ゴッツァンデス!」とお約束のMCをはさみつつ、1曲目の『ア・ハード・デイズ・ナイト』から全31曲、ベース、ギター、ピアノ、ウクレレを弾きながら歌い続けました。 1973年に発表されたポール・マッカートニー&ウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』(画像:ユニバーサル ミュージック) 中でも『バンド・オン・ザ・ラン』の出来には舌を巻きました。同名傑作アルバム(1973年)の冒頭を飾る曲。曲の世界がくるくると変化するあの大曲を、腕利きのメンバーとともに難なく決めるレジェンドの姿は、全盛期の北の湖を思わせる、これぞ横綱相撲。 果敢に攻めた墨田区でしたが、最後の大一番は横綱の登場で終わりました。英国リバプール出身のポール山。決まり手は「バンド・オン・ザ・ラン」だけに「押し出し」ならぬ「走り出し」――。
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