にぎり寿司を注文すると、なぜ「ふたつ」出てくるのか?
世界中で人気の寿司。その中でも江戸前寿司はその名の通り、江戸(東京)で生まれたものです。その江戸前寿司の謎について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。押し寿司から進化した江戸前寿司 新型コロナ感染拡大で大半の飲食店は休業していますが、筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)が周辺を見る限り、寿司(すし)屋は比較的営業しているような印象を受けます。 さて「江戸前寿司」は、にぎり寿司を指すことが一般的です。にぎり寿司は江戸時代中期、押し寿司から進化したものです。 人気のマグロの寿司(画像:写真AC) 押し寿司は木枠に酢飯を詰めて、その上に塩漬けしたアジなどのネタを置いて押し固めたものを指します。この押し寿司はいわゆる上方寿司(大阪を中心に関西で作られるすしの総称)の延長線上にあり、当時は岡持ちで客の家に配達したり、行商したりする形態を取っていました。 江戸前寿司はファストフードだった? 上方寿司の原点、いわゆる「なれ寿司」は平安時代までさかのぼるといわれています。 なれ寿司は発酵を伴う長期熟成が特徴で、木型で成形して時間をかけて作ります。つまり保存食の一種です。 代表的なものは、近江(現在の滋賀県)の「ふな寿司」です。ふな寿司は琵琶湖の湖北・湖東地方の名産ですが、ここから各地の寿司文化がそれぞれに発達していくことになりました。 ふなずしのイメージ(画像:写真AC) 押し寿司はやがて魚、エビ、アナゴ、そして卵焼きなどにネタを広げていきますが、大阪や京都では「箱寿司」と呼ばれてもいます。 さて江戸前寿司は江戸時代後期の文政年間、客に早く提供することを考慮し、酢飯を握って立ったまま食べてもらう形として考案され、誕生しました。現代でいえばファストフードの一種と言えるでしょう。 現在は食べ方のスタイルも、カウンター、座敷、時には回転するベルトコンベヤーと多様化していますが、江戸前寿司という東京が育んだ食文化の原点はあくまで立ち食い寿司です。江戸時代から脈々と継承されてきた独自の食文化を意識しながら立ったまま食べる江戸前寿司は、またオツなものです。 一方、上方寿司の目的は保存であるため、江戸前寿司に比べて砂糖を多く使い、酢もしっかり染み込ませることが重要とされています。しかし江戸前寿司は余分な酸味を蒸発させるため、炊き上げた米と酢を合わせ、うちわであおいで急速に冷ますなどの工夫をしています。 寿司の数え方、ひとつで1貫? ふたつで1貫?寿司の数え方、ひとつで1貫? ふたつで1貫? にぎり寿司(江戸前寿司)の数え方は1貫、2貫です。現在はひとつの寿司を1貫と呼ぶことが多いですが、ふたつで1貫と呼ぶこともあるようです。 筆者はこれまで、「ふたつで1貫」の認識を持っていました。にぎり寿司はふたつ一緒に出てくる形が基本です。江戸時代後期には名物として「江戸三鮨(えどさんすし)」とうたわれた寿司がありました。具体的な名前は、次の三つです。 ・毛抜鮓(けぬきすし) ・与兵衛寿司(よへえすし) ・松が鮨(まつがすし) 諸説ありますが、にぎり寿司を考案したのは、当時「華屋」という寿司屋を開いていた華屋与兵衛という説があります。華屋の寿司はやがて、前述の与兵衛寿司と呼ばれるようになります。 墨田区両国にある「与兵衛鮨発祥の地」の場所(画像:(C)Google) 与兵衛は寿司を岡持ちに入れて行商し、その後屋台で販売するようになりました。与兵衛は新鮮なネタをその場で握るため、せっかちな江戸っ子の好みに合い、大ヒットしました。その後、与兵衛のにぎり寿司をまねる店が江戸中に続出し、上方寿司は姿を消したと言われています。 与兵衛の店があったのは両国で、1930(昭和5)年まで続いていました。店のあった場所には現在、記念碑が建っています。 シャリの量とシンメトリー 与兵衛にはもうひとつのエピソードがあります。 与兵衛の握る寿司はもともとシャリが現在の3倍程度の量、つまりおにぎりとほぼ同じ大きさでした。さすがにその状態では食べにくいため、与兵衛がふたつにわけ、並べて提供開始。その後、その形が浸透するようになりました。 こま犬に見られるように、もともと日本人はふたつが並んだシンメトリー(対称)なものは縁起がいいと考えており、そういった背景に寿司をわけたことが見事にはまったのでしょう。こちらも諸説あるのですが、現在の一般的な説となっています。 こま犬のイメージ(画像:写真AC) そういえば、「華屋与兵衛」というファミリーレストランチェーンがありますが、これはもちろん「華屋」と関係ありません。DVDやCDのレンタル大手「TSUTAYA(蔦屋)」が江戸時代の浮世絵の版元・蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)の名にあやかったことと同じでしょう。 日本の食文化の代表的存在日本の食文化の代表的存在 江戸前寿司は東京湾で取れた新鮮な魚介をネタに使い、江戸からの職人芸で究めた東京の郷土料理です。 例えば魚を酢や塩で締めたり、煮たり、蒸したり、漬けたり、タレを塗ったりとさまざまな工夫が施されています。つまりネタの新鮮さはもちろんのこと、職人の創造性が日本の食文化の代表として、世界に認知されています。 現在、寿司はテイクアウトでしか楽しめません。せっかちな江戸っ子もしばしの辛抱です。新型コロナウイルスが収束すれば、またお気に入りの寿司屋に訪れる日も来ます。 寿司を握る職人のイメージ(画像:写真AC) 寿司屋を始めとする飲食店は、苦境に直面しています。陰ながらの応援しかできませんが、ぜひ頑張ってもらいたいものです。
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