おしゃれタウン「三軒茶屋」にある、とっても古そうな石柱の正体
おしゃれな街、住みたい街として人気の世田谷区三軒茶屋。その三軒茶屋に年季の入った道しるべがあります。いったいなぜでしょうか。サンポマスターの下関マグロさんが解説します。おしゃれな街になぜ古い道しるべが“さんちゃ”の愛称で親しまれている、世田谷区の三軒茶屋。一般的には新しいカフェなどが多く、おしゃれな街というイメージを持つ人が多いように思います。しかしエリアの中心には、古い道しるべがあるのをご存知でしょうか。 道しるべには正面に大きく「大山道」とあり、その右上には「左相州通」。相州通りとは現在の玉川通りのこと(画像:下関マグロ) 道しるべの隣に世田谷区教育委員会が建てた説明書きがあります。それによれば、この道しるべは1749(寛延2)年に建てられ、1812(文化9)年に再建されたそうです。いずれも江戸時代ですね。しかし、このような道しるべがなぜあるのでしょうか。 ヒントは「大山詣り」 江戸時代、大山詣り(まいり)が大変なブームになったそうで、古典落語「大山詣り」という演目があるほどです。相模国(現在の神奈川県)にあった大山は、ばくちと商売繁盛にご利益があるとされ、多くの江戸の人々が押し寄せました。当時は徒歩移動ですから、道行く人に迷わないように道しるべが建てられたわけですね。 なお大山道というのは俗称で、正式名称を「矢倉沢往還」といいます。江戸城の赤坂門から渋谷、三軒茶屋を経て、駿河国(現在の静岡県)沼津宿まで続いていました。 今でいえば、「ニーヨンロク」の愛称で知られる国道246号になります。この道は三軒茶屋で世田谷通りと玉川通りに分かれます。この道しるべはその分岐点にあり、どちらがどの道なのかが書かれているのです。 三軒茶屋という地名の由来は三軒茶屋という地名の由来は 道しるべの正面には、「左相州通 大山道」とあります。左が相州通(現在の玉川通り)、大山への近道ですよ、ということです。 道路の拡張工事などの度に道しるべは移動したそうですが、1983(昭和58)年に元あった場所近くに移動したそうです。それが今ある場所です。ただし、かつては渋谷方向、すなわち西を向いていたのですが、今は北を向いています。 三軒茶屋という地名の由来ですが、誰もが想像する通り、かつて3軒の茶屋があったからつけられたのだそうです。 茶屋は、田中屋、信楽(後に石橋屋、石橋楼)、角屋の3軒。茶屋といっても普通にイメージするものとは違っているかもしれません。いずれも立派な構えの料理茶屋で茶屋娘もいたそうです。茶屋娘は、今でいえばアイドルのような存在で、浮世絵の題材にもなっています。江戸時代の「会いに行けるアイドル」ですね。 交番の前のモニュメントにはそんな様子が描かれた浮世絵をモチーフにしてものがあります。 江戸時代の三軒茶屋の様子が描かれている。道しるべの姿も(画像:下関マグロ) かつて、道しるべは石橋楼の角に建てられていたそうです。茶屋の前には床几(しょうぎ。折りたたみ式の腰掛け)を出し、葭簀(よしず。ヨシの茎を編んで作ったすだれ)を立てて、道行く人へお茶の接待をしていたそうです。今でいえば、オープンカフェみたいな感じでしょうか。 映画のセットのような路地も映画のセットのような路地も この石橋楼があった、世田谷通りと玉川通りに挟まれたエリアは通称“三角地帯”と呼ばれています。 「エコー仲見世商店街」というアーケードの商店街があります。世田谷通りと玉川通り(国道246号)をつなぐ2本ほどの通りがあります。 その「エコー仲見世商店街」の奥に並行しているのが「ゆうらく通り」です。さらにその奥へ進むと、なんとも無国籍な路地が迷路のようにつながっています。 むき出しの電線やパイプ、壁に描かれた落書きなど、映画のセットのようにも見えます。昼間は閑散としていますが、住民やこの近辺で働いていらっしゃる人々が普通に歩いています。 細い路地が迷路のように続く、三角地帯はまるで映画のセットのよう(画像:下関マグロ) 夜になると店の看板に灯がつけられ、多くの飲食店があることに気づかされます。このあたりの雰囲気は、昔から変わっていませんね。筆者も散歩の記事を書くようになってから何度か足を運んでいますが、いつ来ても同じ風景です。 三軒茶屋を感じるにはこの三角地帯を歩くことをお勧めしますが、もうひとつ、渋谷から歩いてみるのもおススメです。国道246号を渋谷から歩くと、池尻大橋を通り過ぎ、おおよそ45分くらいで三軒茶屋に到着します。大山道を書かれた道しるべまで歩けば、江戸時代の人たちの感覚を味わうことができますよ。
- おでかけ