羽田空港の入り口に「大きな鳥居」がポツンと立っているワケ
2022年1月25日
お出かけ羽田空港の入り口に大鳥居がポツンと立っています。いったいなぜこんな場所にあるのでしょうか。激動の歴史を生き抜いてきた大鳥居について、ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。
車やバスから見える大きな鳥居
皆さんは、車やバスで東京国際空港(羽田空港。大田区羽田空港)に向かうとき、空港でとても大きな鳥居を見かけたことがありませんか? 場所は空港島の南西端、多摩川・海老取川(えびとりかわ)に面した辺りです。

大きな鳥居の正式名称は、旧穴守稲荷神社大鳥居といいます。さて、なぜ鳥居はこんな場所にポツンと立っているのでしょうか。
実はこの大鳥居、アメリカとの戦争、そして敗戦を経て激動の歴史を生き抜いてきた壮絶ともいえる経緯があるのです。
戦前は観光地だった
大鳥居のそばに、その歴史などが記された案内板があります。この案内板や大田区などの情報によると、大鳥居はもともと1929(昭和4)年、京浜電鉄(現在の京急グループ)から奉納されたものでした。第2次世界大戦以前、大鳥居が今ある場所には
・羽田鈴木町
・羽田穴守町
・羽田江戸見町
の三つの町がありました。

明治時代、この地に鉱泉が湧き出たことで一帯には旅館、料亭などが立ち並びました。そして海水浴場や競馬場、京浜電鉄による参詣鉄道穴守線(現在の空港線)が開通し、都心の一大レジャースポットとしてにぎわいました。
しかし日本がアメリカに敗戦した1945年8月以降、進駐軍は羽田飛行場(現在の羽田空港)の拡張を決定。三つの町に住んでいた住民全員に対し、当時の蒲田区区長とともに「24時間以内の立ち退き命令」を発令しました。
大田区などの資料によると、退去期限は住民たちによる必死の交渉で48時間以内に延長。その後、住民全員による退去が一斉に行われました。三つの町には約1200世帯、3000人が住んでいました。
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