有楽町の由来は「織田信長の弟」って本当? 千代田区サイトにも記載アリ、真相を調べてみた

一流のホテルや映画館、劇場が立ち並ぶ有楽町。そんな同エリアの名前「有楽」の由来とは何でしょうか。これまで数多くの歴史関連雑誌・冊子の編集を手掛けてきた編集プロダクション『ディラナダチ』代表の小林明さんが解説します。


有楽町の名前の由来とは

 有楽町駅はJRにおける銀座の玄関口です。1日の平均乗員人数は10万3759人と、JR東日本全エリアの駅では18位。商業施設や飲食街、オフィスビル、映画館や劇場も近い山手線の駅として、全国的にも有名です。

 行政上の有楽町という地名も存在し(有楽町1~2丁目)、1丁目には映画館の日比谷シャンテが、2丁目には有楽町マリオンがあります。

有楽町駅(画像:写真AC)



 そんな有楽町ですが、地名の由来は「織田信長の弟」からと聞いたことがある人も多いでしょう。弟は織田長益(ながます)で、茶道の名人として「有楽斎」(うらくさい)の名も持っていました。この「有楽」が有楽町の語源であると、テレビ番組などが取り上げていました。

 ところがこの由来説、実は眉唾なのです。しかも、つい最近になって指摘されたことでもありません。明治時代から著名な地名学者が

「有楽斎とは関係ない」

という説を主張していました。

 それにも関わらず、こちらの異論はあまり話題になりません。果たして真説は? 史料を基に追っていきましょう。

有楽斎は信長より13歳年下

 まず、織田有楽斎(以下、有楽斎)について簡単に解説します。

 有楽斎は信長と13歳年の離れた弟でした。戦国時代の武将としては決して目立つ存在ではありませんが、信長の長男・信忠に従軍して戦(いくさ)に参加した記録も残っています。

 1582(天正10)年に起きた本能寺の変では、明智光秀の急襲から難を逃れています。豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう。経験談を語ったり書物を講釈する側近)を経て、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して3万石を賜るなど、乱世をしぶとく生き残った男です。

千代田区のウェブサイト。「「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎(おだうらくさい)(長益(ながます))に由来します」と書かれている(画像:千代田区)

 江戸時代に入ると、子どもたちに領地を分け与えて隠居し、自らは75歳で没するまで風流な茶人として生きました。

江戸時代の書物から始まった伝説

 関ヶ原の戦いの功績による褒美として、有楽斎は家康から江戸に屋敷を拝領したといわれています。なお屋敷は、現在の銀座・数寄屋橋交差点近くにありました。

 その後、屋敷が失くなり空き地と化したため、空き地を有楽斎にちなんで「有楽原(うらくがはら)」と呼び、ときを経て有楽町の地名となった――これが現在の定説です。有楽町がある千代田区のウェブサイトにも、そう載っています。区の公式見解です。

 この定説のソースは古く、初出は1772(明和9)年に出版された『再校 江戸砂子(えどすなご)』という書物に載っています。簡単にまとめると、

「数寄屋橋御門外、元数寄屋2丁目から3丁目の所に、慶長の頃(1596~1615年)、織田有楽斎の屋敷があった。だが寛永の頃(1624~1644年)には空き地となり、有楽原と呼ばれた」

1772(明和9)年刊『再校 江戸砂子』の問題の箇所。「織田有楽斎の屋敷があったが空き地となり、その後は有楽原と呼ばれた」と記されている(赤枠部)(画像:国立国会図書館)



 徳川家康が関ヶ原に勝ったのが1600年、江戸に幕府を開いたのが1603年。そして、有楽斎が屋敷をもらったのが遅くとも1615年まで。つじつまは一応、合っています。

 さらに、後の時代に出版される幕府編さんの地理誌『御府内備考(ごふないびこう)』が『江戸砂子』のこの一節を引用します。つまり、『江戸砂子』の説は、幕府のお墨付きを得たということにほかなりません。

 こうして、有楽斎の名前が地名に転化したという説は定着していきます。

 ところが、よく調べた結果、「なんか変だぞ」と異議を唱えたのが明治の歴史地理学者・吉田東伍(よしだとうご)でした。吉田の主張を要約すると、こうなります。

1.有楽斎が江戸に屋敷を拝領した事実は確認できない
2.有楽斎は関ヶ原の戦いの後、大和国(現在の奈良県)などに領地を持ち、さらに大坂夏・冬の陣(1614~1615年)には大坂城にいた
3.関ヶ原で徳川に味方としたとはいえ、家康とは距離を置いており、江戸に住む時間はなかったはず
4.隠居後は京都に住んでいる

 つまり、

「有楽斎は江戸に住んでいない。よって屋敷も最初からない。『江戸砂子』はデタラメ」

というのが、吉田の主張の骨子なのです。吉田説を支持する歴史・地理研究家は、今も少なくありません。

屋敷があったとされる場所は町人地?

 吉田は別の根拠も指摘しています。それによると、有楽斎が江戸にいなかった可能性がより高まってきます。

 有楽斎の屋敷が“あったとされる場所”は、『江戸砂子』によると「数寄屋橋御門外、元数寄屋2丁目から3丁目」とされています。この「御門外」という言葉に注意が必要であると、吉田は指摘したのです。

 というのも、

・数寄屋御門の外は日比谷入江という「入江」が近くまで入り込んでいた
・そこで幕府は宅地化すべく埋め立て工事を計画し、1603(慶長8)年に造成が始まった

そう、『江戸砂子』は1610(慶長15)年までここに有楽斎の屋敷があったといいますが、その時期は埋め立て工事の真っただ中だったはずなのです。

 また宅地化した後に有楽斎が住んだと仮定すると、なおさらあり得ないことになります。

 工事後は江戸城の外堀に「数寄屋橋」を架け、かつ「数寄屋橋御門」を建て、門の「内」を武家地(武家が住むエリア)、「外」を町人地(庶民が住むエリア)としています。身分によって居住地を厳格に定めたわけです。

 有楽斎は名門・織田に連なる者として、隠居してからも1万石を有していた大名です。そんな人物が、御門の外の町人地に屋敷を持つとは考えられません。

1632(寛永9)年頃刊『武州豊嶋郡江戸庄図』は、江戸初期の代表的地図。この時点で御門と橋は設置されており、すでに武家地と町人地は厳格に区切られている(画像:国立国会図書館)



『武州豊嶋郡江戸庄図』という1632(寛永9)年頃の地図を見てみましょう。江戸時代初期の代表的地図です。やや痛みが激しい地図ですが、橋と門が描かれ、その近くに「すきや丁」という文字が確認できます。

 橋は「数寄屋橋」、門は「数寄屋橋御門」、「すきや丁」が『江戸砂子』にある元数寄屋町です。御門と橋を設置することによって、武家地と町人地が区切られていたことがわかります。筆者(小林明)も吉田と同じく、有楽斎の屋敷はなかったと考えています。

解決の鍵は小さな茶室にアリ

 では、なぜこの場所が有楽斎と結びついてしまったのでしょうか。その鍵は「数寄屋」という言葉にあります。

 数寄屋とは4畳半程度の小さな茶室のことで、時代劇の登場人物が茶の湯をたしなむ場所としておなじみです。

晴海通りを横切る横断歩道脇に、明治元年に撮影された数寄屋橋と、数寄屋御門の古写真のレリーフがある(画像:小林明)



 実は数寄屋町は、宅地化後に茶人が真っ先に集住したエリアでした。彼らは「数寄屋坊主」と呼ばれていました。「坊主」といっても僧侶ではありません。茶道の達人として、参勤交代で江戸に滞在している大名らに、茶を出す役目を担っていました。

 その数寄屋坊主たちが住んでいた町が数寄屋町と呼ばれたので、建てた橋も「数寄屋橋」、御門も「数寄屋御門」と名付けられたのです。

誰が数寄屋と有楽斎を結びつけた?

 ということで、結論です。

 要はその坊主のなかに、有楽斎が「いたに違いない」と臆測で誰かがいいはじめてしまったのでしょう。その誰かとは、ずばり『江戸砂子』の執筆者です。

晴海通りに面した緑地・数寄屋橋公園には、「数寄屋橋此処にあり」の碑が立っている。『再校 江戸砂子』によれば、有楽斎の屋敷があったとされる場所はこの公園の奥、現在の東急プラザ銀座辺り。だが御門の外は町人地であり、大名が住むエリアではない(画像:小林明)

 現在私たちが有楽町と呼ぶ場所に有楽斎は住んでいなかった、ただし『江戸砂子』のフェイクニュースがまん延した結果、有楽町は有楽斎由来であるという定説ができあがってしまった――あえていうなら、有楽斎の名前に所縁(ゆかり)はあるが、そのゆかりはフェイクから始まったというのが真相ではないかと考えられます。

 長い歴史の中でさまざまに脚色された話は、たとえそのソースがうそであっても、やがて定着してしまうのかもしれません。


【画像】60年前の「有楽町」駅前

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