平成イタリアンブームの象徴「イタメシ」、なぜ死語になった?
1990年代のイタリアンブームを象徴する言葉となった「イタメシ」。日本におけるひとつの食文化を牽引したといえるものですが、いつからどう使われるようになり、なぜ消えていったのでしょうか。
本格的イタリアンブームの到来は90年代
「以前、20代の人たちと話している時に『イタメシ』という言葉を知っているかと聞いてみたら、『その呼び方、斬新ですね。新しい流行語ですか?』って聞かれてね」
そう言って笑うのは、イタリア料理店「アルポンテ」(中央区日本橋浜町)のオーナーシェフ、原宏治さん。この道38年、日本イタリア料理協会の副会長も務める、ベテランシェフです。
「イタメシ」という言葉を実際に使っていたのは、今の40代より上の人たちで、20代の人たちはほぼ知らず、30代は聞いたことがあるといった程度ではないでしょうか。イタメシは、1990年代のイタリアンブームを象徴する言葉で、カジュアルなイタリア料理店のことをいいました。この言葉、いつから使われるようになり、なぜ死語となっていったのでしょうか。

イタリア料理ブームの走りは1980年代後半。1985(昭和60)年のプラザ合意を境に急激に円高が進み、海外渡航者が急増していった時期です。ヨーロッパを紹介するテレビ番組や雑誌が増え、イタリアはフランスやイギリスと比べて物価が安いこともあり、人気と憧れの旅先となりました。本場イタリア料理のおいしさを知る日本人が増えるなか、イタリアで料理を勉強した料理人たちが帰国。店が増え始めたのです。
その一方で、1988(昭和63)年刊行の情報誌を調べてみると、この頃はまだ洋食についてフランス料理の店紹介が圧倒的に多く、イタリア料理の店はさほど載っていません。
原さんによると1980年代後半、すでに東京では「サバティーニ」や「グラナータ」のような本場さながらの高級イタリア料理の店(リストランテ)は存在していたものの、数は少なく、「イタリア料理風」の店が多かったと話します。
「手頃な価格で、本格志向のイタリア料理を出す店が急激に増えて行ったのは1990年代」という原さんの言葉は、当時、仕事で頻繁にイタリアを訪れていた記者の記憶とも一致するものでした。
1998(平成10)年10月刊行の「ミートジャーナル」(食肉通信社)でも、1990(平成2)年から1991(平成3)年にリーズナブルなイタリア料理の店が増え、それを背景に欧米で高級食材とされる子羊や子牛の需要が伸びていったことが書かれています。

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