有楽町の由来は「織田信長の弟」って本当? 千代田区サイトにも記載アリ、真相を調べてみた

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有楽町の由来は「織田信長の弟」って本当? 千代田区サイトにも記載アリ、真相を調べてみた

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小林明

編集プロダクション『ディラナダチ』代表

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一流のホテルや映画館、劇場が立ち並ぶ有楽町。そんな同エリアの名前「有楽」の由来とは何でしょうか。これまで数多くの歴史関連雑誌・冊子の編集を手掛けてきた編集プロダクション『ディラナダチ』代表の小林明さんが解説します。

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    現在の有楽町駅前の地図(画像:国土地理院)
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    現在の有楽町駅前の航空写真(画像:国土地理院)
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    1963年頃の有楽町駅前の航空写真(画像:国土地理院)
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    明治初期の有楽町駅前の地図(画像:国土地理院)
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    有楽町駅(画像:写真AC)
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    千代田区のウェブサイト。「「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎(おだうらくさい)(長益(ながます))に由来します」と書かれている(画像:千代田区)
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    1772(明和9)年刊『再校 江戸砂子』の問題の箇所。「織田有楽斎の屋敷があったが空き地となり、その後は有楽原と呼ばれた」と記されている(赤枠部)(画像:国立国会図書館)
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    1632(寛永9)年頃刊『武州豊嶋郡江戸庄図』は、江戸初期の代表的地図。この時点で御門と橋は設置されており、すでに武家地と町人地は厳格に区切られている(画像:国立国会図書館)
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    晴海通りを横切る横断歩道脇に、明治元年に撮影された数寄屋橋と、数寄屋御門の古写真のレリーフがある(画像:小林明)
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    晴海通りに面した緑地・数寄屋橋公園には、「数寄屋橋此処にあり」の碑が立っている。『再校 江戸砂子』によれば、有楽斎の屋敷があったとされる場所はこの公園の奥、現在の東急プラザ銀座辺り。だが御門の外は町人地であり、大名が住むエリアではない(画像:小林明)
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