掛けた費用は3000万円超!「伝書バト」に人生をささげた男性、北海道―東京1000kmレースに出場し

華やかできらびやかな街というイメージが強い東京。しかし、大通りから1本路地に入れば、そこには昔懐かしい住宅地が広がり、名も知らぬ人々がそれぞれの人生を生きています。今回紹介するのは、伝書バトの魅力に取りつかれた83歳の男性の物語です。


見よう見まねで始めた22歳

 きらびやかなばかりが東京ではない――。都心のふとした片隅に突如現れる、昭和のまま取り残されたような異空間。そこにもまた名も知らぬ人々が暮らし、大切な今日をただひたむきに生きていました。東京裏路地ウォッチャー、佐藤栄一さんの取材インタビューです。

※ ※ ※

 大田区の大森に住んでいた元旋盤工の畑中進さん(仮名、83歳)には、若い頃から自慢にしていた趣味があります。それは大空にハトを飛ばして順位を競うレースです。

男性をとりこにした伝書バト。その魅力とは(画像:写真AC)



 畑中さんは伝書バトが日本でブームになり出した頃、見よう見まねで2羽をハト用のカゴに入れ、台東区の上野公園から自宅まで飛ばしていました。

 まだ何も詳しくない、22歳のときです。

 電車の中でたまたま知り合った人から「伝書バトの協会があるのであなたも会員になってレースに出したらいいよ」とアドバイスを受け、1963(昭和38)年、本格的に自宅に鳩舎(きゅうしゃ)を造り、4羽から飼うことにしたのです。

 いいハトになると、当時でも1羽2万円もしました。小遣いは全てハトのエサ代で消えます。すぐ自分で気に入ったハトを設け、どんどん数は増えて、最後は71羽にまで増えました。

 幸い、家族はハトの趣味に理解があって、長男の畑中さんが仕事さえ真面目にしてくれていたらそれでいい、といった感じでした。

1964年、東京五輪の晴れ舞台

 ハトにのめり込んだ畑中さんは、1964(昭和39)年、東京オリンピックの開会式に選んだ17羽を出すことになりました。

 このときは全国から1万羽ものハトが集められています。

 国立競技場のグラウンドに役員が畑中さんたちから預かったハトをかごでつないでズラーッと並べ、「放せ―!」の号令でもって一斉に大空に飛び上がるハトたち。

一斉に空を舞ったハトたちのイメージ(画像:写真AC)



 国立競技場から大森の自宅まで、ほんの5分で帰ってきました。1万羽のハトがめいめいの家へとものすごいスピードで飛び帰るさまは驚くほど壮観です。

 畑中さんも5分で戻るとは想像もしていないし、それで家族も近所の人たちも驚いたのなんの……。

「へえー、あれはびっくりするよー」

 畑中さんは鼻高々でした。

 伝書バトは、もともとドイツの軍隊で発案されたもの。ハトの帰巣本能を利用し、遠隔地からの通信用に使ったものです。

飛び立ったまま帰らないハトも

 それと、昭和30年代初め頃まで、新聞社の屋上には伝書バトの小屋があり、記事や報道写真の送稿にハトが利用されていました。写真電送機がない時代の話です。

 畑中さんのハトは空へ放すと、上へ飛び上がってひと回りして、早いので1分足らず、遅くとも10分で東京方面へ向かう。

最終的には71羽を飼うまでになった畑中さん(画像:写真AC)



 なかには途中で遊ぶものや、神社のハト仲間に加わったまま帰らないものもいます。いわゆる行方不明です。

 茨城の水戸から飛ばすと100kmあるので1時間25分。ハヤブサと同じくらいに速い(ハヤブサの急降下は時速300km超)。

 家が近くなると急降下して鳩舎に入る。ほれぼれする見事な滑空です。

 大会のレース出場料は1羽100円。持ち主が分かるように足にはゴム管の筒を付けています。

 畑中さんは、これで3回も優勝しました。福島の先の木戸からだと200kmに1時間50分。出場料は1羽150円でした。

ついに1000kmレースに挑戦

 青森の野辺地だと、600kmもあるので4時間と少し掛かりました。それでも朝に飛ばして昼過ぎには帰ってくる。さすがの鳩もヨレヨレに疲れています。

 なかには、他のタカや猛禽類にやられたのか、血だらけになって帰って来るものも。そんなときはかわいそうで思わず涙が出たそうです。

 やがて挑戦はエスカレートしていきます。

 畑中さんはついに、北海道・稚内の1000kmレースに出場します。ハトは、4日くらい掛かってようやく帰ってきました。北の果ての稚内はやはり遠過ぎました。これではレースになりません。

北海道の稚内から東京までは、およそ1000kmの距離がある(画像:(C)Google)



 帰巣能力の限界は1000kmくらい。時速は50kmから100kmで飛ぶそうです。ほとんど休まず、食べずに飛び続ける。ハトにはすごい能力があるのです。

 レースに出るハトの移動は、出発地まで現在は飛行機で運びますが、昔は役員が車で運んでいました。ハトの値段は、現在では20万円以上することもあるそうです。

多くいたライバルも今はなく

 根気のいいハトは、赤目、鼻こぶがスマート。羽の数が多く、1枚の羽が広く、身が軽いのがいいのだとか。

 ハト仲間とは情報交換をよくしました。上には上がいて、井の中の蛙でいたらとてもじゃないけどレースには勝てません。

 一時はブームになった伝書バトのレースですが、エサ代が高くて皆いつしか引退していってしまいました。どうしても経済的に続かないのです。トウモロコシとキャベツを刻んだ菜っ葉と麻の実を配合したものをエサにしていましたが、71羽を飼っていた畑中さんで1か月に4万円と少し掛かった。1年だと50万円にもなります。

 畑中さんのライバルは、同じ大森に住む細井さん。近くに住む警察官の佐藤さんも熱心でした。蒲田で有名な郷田さんの弟もライバルだった。レース近くなると、畑中さんはいつも興奮して眠れなくなるほどでした。

 そのライバルたちも年を取り、皆、鬼籍に入りました。畑中さんがハトにささげた総額は、計算したことがないのですが、ざっと3000万円は軽く超えるようです。大森・蒲田あたりなら、立派な家が1軒建てられるかもしれません。

 どんな世界でも奥を極めたいと思えば、趣味の域を超えてしまうのでしょう。

男性が人生をささげたハトのイメージ(画像:写真AC)



 畑中さんは妻に先立たれ、ひとりいた息子も事故で亡くし、屋上に鳩舎のある大きな自宅も売ってしまいました。今は千葉県にある妻の墓地の隣にあるホームで、ひとり静かに暮らしています。

 穏やかに眠る時間の増えた畑中さん。おそらくハトがまた大空を飛ぶ夢を見ているのだと思います。

※記事の内容は、個人のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。


【画像】「レース鳩」の情報誌

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