現在なら訴訟レベル?
昭和時代は個人情報保護の概念がまだ浸透しておらず、児童・生徒の電話番号と住所が記載された連絡網は普通に配布されていました。用途は、緊急時にクラス全員へ連絡を行うため。
連絡網には親の職業まで記載されているものもあり、それを冷蔵庫にマグネットで貼り付ける家庭も少なくありませんでした。
インターネット時代の今振り返ってみると、もはや「都市伝説」レベルです。それほど、当時の個人情報の扱いはゆるいものでした。
電話での連絡が当たり前だった時代、台風による休校や登校時間の変更などのお知らせは全て固定電話で行われていました。連絡はまるで伝言ゲームのようで、AさんがBさんに、BさんがCさんに、といった具合。Bさんが留守の場合、AさんはCさんに電話をかけるなど、保護者の協力の下、臨機応変な連絡が行われていました。
また、クラスメートに年賀状を送る際も、住所をわざわざ聞き出す必要もなく、連絡網に記載された住所に送れば済んでいました。しかし今では年賀状を送るにも住所をわざわざ教えてもらわなければなりません。
さらに、クラスメートがどの辺りに住んでいるのかも分からないまま、小学校を卒業することも珍しくありません。昭和時代に学校生活を経験した人間からすると信じられませんが、現在の学校は個人情報の取り扱いがそれほど厳しくなっているのです。
プライバシーの概念が広まったのは平成以降
個人情報に関する日本最初の法律は、1988(昭和63)年12月に成立した「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護」です。
同年はちょうど昭和から平成へと時代が変わる頃で、その名の通り、行政という公的機関に限定されていました。
現在、個人情報に関する法律は
1.個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)
2.行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律
3.独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律
4.情報公開・個人情報保護審査会設置法
5.行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(整備法)
の五つです。いずれも2003(平成15)年に制定されました。
導入の背景には、インターネットの普及に伴い個人情報の漏えいへの不安、卒業アルバムや名簿を悪用した詐欺やダイレクトメールなどが社会問題になったためです。
平成時代に入ってIT技術が飛躍的に進歩し、個人情報が瞬く間に拡散する時代になりました。インターネット上にはさまざまな情報があふれ、悪用されると大きな損害を受けるようになったため、法整備は急務となったのです。
法律の施行以降、クラスの連絡網の取り扱いが難しくなるのは自然な成り行きでした。
千代田区は2007年からメール配信システム導入
時を同じくして携帯電話の普及も急速に進み、連絡網の在り方も劇的に変わっていきます。
1990年代末から2000年代初頭にかけて、携帯電話で手軽にメールの送受信(キャリアメール)ができるようになりました。
文部科学省が2004(平成16)年9月に発表した「学校施設の防犯対策に関する調査研究報告書」のなかには、
「個人情報の取り扱いに十分注意しながら、携帯電話や電子メールの活用等も考慮に入れた緊急時の連絡先リストや情報伝達網を日頃から整備しておくことも有効である」
と記されています。
東京都千代田区では、2007年10月から区の防災情報システムに組み込まれた連絡網メール配信システムを導入しています。こうした流れは東京だけでなく全国で進み、「学校からの連絡はメール配信」が常識化しました。なお翌2008年には、従来の携帯電話に比べて高性能なiPhone(スマートフォン)の発売が日本でスタートしています。
現在、保護者への連絡はメールで送信されるのが一般的となっており、連絡網を見たことのない世代も徐々に増えています。
昭和時代の方が人々のつながりが強かった?
常識は時代とともに変化します。昭和時代に学校生活を経験した人間にとって、駅の伝言板は当たり前の存在でした。
当時は、待ち合わせの時間を過ぎても連絡手段がなかったため、相手が来るのか来ないのかすらわからなかったり、気になる異性の自宅に電話をかけたら父親が出て気まずかったりという経験も当たり前でした。
そんな経験の有無が人生で大きな違いを生むわけではありませんが、他人との心の通ったつながりは昭和時代の子どもたちの方が強かった、という声がインターネット上で散見されるのは、あながち間違いではないかもしれません。