東京に憧れる若者の「希望」だった
いまや日常生活に欠かせないコンビニエンスストア(以下、コンビニ)。飲食物だけでなく消耗品、コピー、チケット、住民票取得、現金自動預払機(ATM)など、東京に住んでいれば1日に一度ぐらいはコンビニへ足を運ぶのではないでしょうか。
またコンビニは、少し前の時代まで東京に憧れる若者の「希望」でした。
筆者(昼間たかし。1975年生まれ)は岡山県出身ですが、高校生時代の街にあったコンビニはローソンとファミリーマートぐらいでした。
そのため、上京してセブン―イレブンやam/pm(現・ファミリーマート)、サンクス(同)などを見たときは、「都会に来たんだな」と思ったものです。ちなみに現在は、岡山県にもセブン―イレブンは出店しています。
コンビニ第1号のオープンは46年前
それまで存在した深夜スーパーとは違うニュースタイルの店として、コンビニが頭角を現し始めたのは1980年代です。
コンビニの定義は諸説ありますが、一般に知られるコンビニの第1号・セブン―イレブン豊洲店がオープンしたのは1974(昭和49)年のことです。
それから10年もたたない間に、「夜中に開いている便利なお店」から「必要なものが必要なときに手に入るお店」に発展。1987(昭和62)年時点で、全国のコンビニ店舗数は3万3650店舗にまで増えました。
『週刊サンケイ』1988年3月31日号によると、1988年時点の各店舗のシェアは、
セブン―イレブン:48%
ファミリーマート:17%
ローソン:26%
サンチェーン(現・ローソン):11%
となっていました。
当時は大都市圏を中心に展開されていたコンビニですが、東京では早くも徒歩圏内にいくつもの店舗が軒を連ねるようになっていました。
コンビニが一気にシェアを伸ばした理由
当時のコンビニの存在感を示すのが、『週刊宝石』1988年4月15日号に掲載された次の一文です。
「ビデオでも借りようと、深夜の散歩に出かける。午前2時の真っ暗な通りに、ふと目につくのは、異様なほど明るく電気の輝いた24時間ストア。引きつけられるように店に入り、買う気もなかった雑誌と缶コーヒーをレジに持って行き、そして、なぜか、ホッとする。このお店、僕らの思っていた以上に、生活必需品なのかもしれない……」
瞬く間に都会の生活になくてはならないものになったコンビニですが、その中で当初売れていたものは食べ物です。
1988年のデータによると、「弁当・おにぎり」の売り上げはコンビニが他業種を追い抜き、市場シェアの3.3%を制して1位に浮上。さらに、「スナック・菓子」でも市場シェアの2位を獲得。ほかにもラーメンなどのレトルト食品や、飲料、雑誌などもコンビニで購入するのが当たり前になりつつありました。
コンビニが一気にシェアを伸ばした理由は、販売時点情報管理(POS)システムを導入し、その店舗を利用する人の好みがダイレクトにわかるようになっていたためです。
レジ精算時、店員が客の性別や年齢のボタンを押してデータを蓄積するシステムは現在、多くの小売店で当たり前に行われていますが、これをいち早く導入したのはセブン―イレブンでした。
セブン―イレブンは客層から時間帯別の売り上げまで、膨大なデータを持っているとして当時注目を集めました。これを追うファミリーマートやローソンも同様のシステムを導入し、コンビニは小売業界の最先端を行く産業へと発展を遂げたのです。
小売の次は「代行業」
小売業界で頭角を現したコンビニの次の一手が、各種の代行業でした。
セブン―イレブンが1987年、東京電力の料金支払いサービスを開始。当時、電気料金の支払いで請求書による振り込みを利用していたのは全体の16%にあたる288万世帯でした。支払先は銀行か郵便局、もしくは東京電力の窓口のみ。当然、支払いが遅れる人も多かったのです。
そこで東京電力は、関東に当時1200店舗を持ち、POSシステムによって翌日に支払い情報が手に入るセブン―イレブンに目を付けたのです。
この成功を受けて1988年頃からコンビニ各チェーンは、電気・ガス料金などの公共料金の支払いの取り扱いを始めました。JRの切符、各種保険の加入手続きや料金の支払いまでもが可能になったのです。
画期的だった公共料金の支払い
さまざまな収納代行サービスの中で、公共料金の支払いは特に便利なものとなりました。1988年3月には、東京ガスでもコンビニでの支払いが可能になりました。翌1989(平成元)年2月に金融機関の完全週休2日制が始まると、コンビニでの支払いは当たり前なものとして定着しました。
2020年現在、カードや口座引き落としで支払う人も増えたこともあり、公共料金の支払いができる窓口はほとんど姿を消しています。
あらゆるサービスを抱え込み、拡大していったコンビニ。『週刊SPA!』1988年12月15日号では、
「極論すれば、市民生活に役立つ商品なら、なんでも扱う」
と、当時のファミリーマート経営企画室長が語っています。
独自色を競った各チェーン
いつでもどこでも同一の商品が手に入り、同一のサービスが受けられるコンビニは、市民生活になくてはならない存在となりました。その成長の中で、各チェーンは独自色を出そうとしのぎを削りました。
当時の独自色の出し方はさまざまです。JRの切符を購入できるシステムを導入したファミリーマートは、「みどりの窓口」よりもすいており楽に購入できることをアピールしていました。また、当時の必需品であったテレホンカードに目をつけ、店頭でオリジナルテレカを作れるという珍しいサービスも行っていました。
セブン―イレブンは、雑誌以外にも文庫本をそろえるなど書店機能も強化。雑誌を買うついでに弁当を買っていく客層が多かった当時、この戦略は効果を発揮したようです。また、真偽は定かではありませんが、ほかのチェーンに比べてトイレが利用できる店舗も多かったといいます。
そして、現在では当たり前のATMを最初に導入したのはサンチェーンでした。ニコマート(1993年事実上倒産)は、FAX送信サービスをいち早く導入していました。
都会人の特権だった「コンビニ比較」
数々の独自色を打ち出す戦略の中でもっとも重視されていたのは食べ物です。
「コンビニ弁当 = 独身男性のための代用食」という世間の認識を覆すべく、1980年代後半になると、コンビニ弁当は急速においしさが追求されるようになりました。各チェーンではお米にコシヒカリを導入。旬にあわせてマツタケやタケノコを使った弁当をつくるなど、試行錯誤を重ねました。
セブン―イレブンは、和風折り詰め弁当のような栄養バランス重視の商品を開発し、女性人気を得ました。ローソンは、1989年8月に懐石料理をイメージした高級志向の予約弁当まで投入。利用者の注目を集めました。
それでも冒頭に記したように、地方ではそうしたコンビニの話題は、雑誌の記事で読むだけのものでした。多くの地方はコンビニチェーンがひとつかふたつしかありません。さまざまなコンビニのサービスや食べ物を比較して楽しむことができるのは、都会人の特権だったのです。
そうして過去のことを思い出すと、コンビニがわんさかとある大都会・東京の輝きを改めて感じます。