第一京浜沿い ビルと車だらけの大森海岸に、かつて料亭が50軒あり芸者があふれていた!【連載】東京色街探訪(9)

かつて品川から平和島辺りまでの、第一京浜東側は「三業地」と呼ばれていました。その痕跡を紀行ライターのカベルナリア吉田さんが歩きました。


かつてそこは「海岸」だった?

 JR京浜東北線の大森駅で降り、まず東口から外に出ました。ショッピングビル「アトレ」が立ち、入り組む路地沿いに店がひしめいています。ひときわ狭い路地には、スナックが並ぶなかに「大森飲食街ビル」があり、ビルの奥深く延びる通路に小さな店がズラリ。なんだか怪しい雰囲気です。

 JRの低い高架下をくぐり、駅の西側へ。こちらも通りの途中に下り階段が延びる横丁があり、入り口に「山王小路飲食店街」のゲートが立っています。ゲートをくぐり、階段を下りた先は谷底のような場所で、極細の路地沿いにやはりスナックが何軒も。雑然とした谷底のスナック街は、相当怪しい雰囲気で「地獄谷」と呼ばれています。

 しかし目指す「色街」は、ここではありません。

大量の車が進む第一京浜(画像:カベルナリア吉田)



 駅の北側を、東西に横切る通路を抜けて、再び東側へ。そのまま東へまっすぐ延びる道を進みます。街路樹が茂り、道をトンネルのように覆い、木々の向こうには高層ビルが何棟も見えます。

 しかし脇道に迷い込むと、ビルとビルに挟まれ、年季の入った2階建ての家屋も数軒。民家よりも店舗が多く、そば屋に洋食店も。枯れた味わいが漂い、料亭のようにも見えます。

 このかいわいには戦後、赤線があったとも聞きます。そして道ばたに立つ掲示板に「大井海岸町」の文字。付近は南大井3丁目で「大井海岸町」という住所はないはずですが。

心霊名所を通り過ぎて

 すさまじく広い大通りに出ました。第一京浜です。なんと片側4車線、往復合わせて8車線! 車が途切れずに走り抜け、クラクションの音が響き、たった今歩いた「大井海岸町」から、はるか遠くに来たような気持ちです。

 歩道橋を渡り、道の東側へ。降りた目の前は「鈴ヶ森刑場跡」。江戸時代の刑場跡で、心霊名所としても有名な場所ですが、今回は軽く見るだけにして先へ進みます。

 第一京浜の東側を、南へ向かいます。途中に大きなイルカのモニュメントが立ち「しながわ水族館」に続く脇道が延び、家族連れが大勢います。ほかはひたすら超高層マンションばかりが立ち並び、空が狭くて圧迫感さえ覚えそうです。

京浜急行の大森海岸駅(画像:カベルナリア吉田)

 少し進むとまた歩道橋があり、第一京浜の西側に小さく「大森海岸駅」の駅名標が見えます。京浜急行の大森海岸駅があるようですが、目立たない小さな駅。特急も急行も通過する、普通列車しか止まらない駅です。

 駅名と古い町名に残る「海岸」の2文字。その名の通り、かつて一帯は海岸で、そしてここを中心に色街がありました。車と高層ビルだらけの今の風景を見るほどに、なんだか信じられません。

戦前は海沿いに連なる三業地

 戦前は、第一京浜の東側は海岸でした。そして品川から大井、大森海岸を経て南の平和島辺りまで、花街が連なっていました。

 芸妓(げいぎ)を派遣する「置き屋」と、男性客が芸妓と遊ぶ「待合」と、そこに料理を仕出しする「料亭」。この「三業」がそろう花街を「三業地」と呼びます。品川から海岸沿いに、北から南へ「大井三業地」「大森海岸三業地」「大森新地」が並び、なかでも大森海岸三業地は人気が高かったそうです。

 まず1891(明治24)年に海水浴場が開かれて、そこに集まる人に向けて料亭が軒を連ね、三業地になりました。1935(昭和10)年ごろをピークに、海岸沿いにはカニやシャコを売る店が並び、大勢の人が集まったとか。

現在の大森海岸駅周辺。1906年測図の地図(左)と現在の地図(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 しかし第2次大戦がはじまると、付近の建物は軍需工場になってしまいます。それでも敗戦後は色街として復活し、進駐軍の兵士らでにぎわったそうですが、昭和30年代になると高度経済成長期が訪れます。

 東京オリンピックの誘致が決まると、一帯は急ピッチで開発が進められました。海岸は埋め立てられ、首都高速とモノレールを建設して、ひなびた海岸風景は激変します。

 全盛期には料亭が約50軒。開発が始まったあとも、昭和40年代まで芸妓は300人くらいいたそうですが、男性たちの遊び方も変わり、置き屋も芸妓も急速に減っていきました。ただし今でも数軒の置き屋があり、芸者さんもいるそうで、大森海岸は現役の花街だということです。

高層ビル街の片隅に、古い神社が残る

 大森海岸はその昔「八幡海岸」とも呼ばれ、大森海岸駅もかつて「八幡駅」だったそうです。そして第一京浜の東側に緑道公園があり、入り口に「八幡橋児童公園」の看板も。ただし幅の狭い公園で、入るには勇気が必要なトイレがポツンとあるだけです。

 第一京浜の西側には磐井神社があります。その起源は西暦573年にさかのぼる、古い格式の延喜式内社。境内の一角に立つ稲荷神社には、大森海岸三業地の店が奉納した玉垣が残っています。

磐井神社の鳥居(画像:国土地理院)



 また神社に面した歩道には「磐井」の由来となった古井戸もありますが……とにかく第一京浜の激しい車の往来と高層ビル群が気になって、なかなか歴史の風情に浸れません。

 高層マンション群が立つ一角に、戦後は進駐軍相手の慰安施設があり、さまざまな悲喜こもごもがあった――という話も聞きますが、今となってはその片りんさえもうかがえません。街というものは、わずか数十年でそんなにも変わってしまうものでしょうか。

 むなしささえ感じながら、それでも第一京浜をひたすら南へ進み「平和島口」交差点を過ぎると、道が途中でY字に分かれました。第一京浜から分岐して真南に延びる、歩道がない狭い道。その道ばたに「旧東海道」の道しるべが立っています。

旧街道を通り、水辺へ

 旧東海道の道しるべに続き、道ばたには「大森本町ミハラ通り北商店会」の案内板も。ミハラは漢字で書くと「美原」。かつて一帯に南、中、北原の三字があり、まとめて「三原」と呼んだのが、文字を変えて美原になったとか。そして旧道の東側に沿って、昔は海岸が広がっていたそうです。

旧東海道/美原通り商店街(画像:カベルナリア吉田)



 旧街道だけあって、沿道には年季の入った店が点々と残り、ようやく歴史の香りが漂いはじめました。コンビニエンスストアの店頭にも、江戸時代風の木看板が立ち「豆大福」のノボリが風に揺れています。小さいけれど由緒正しそうな「美原不動尊」があり、大正時代から続く自転車店。歩道には往時の風景を刻んだ石碑も立っています。

 着物姿の親子が、沿道の荒物屋で買い物。子どもをあやす着物姿の母。籠をかつぐふたりの車夫、籠の中にも着物姿の母と幼子。

 畑越しに木立が並び、その向こうに海が広がり、沈んでいく夕日。浅瀬で小舟を操るふたりの婦人は――海苔採りの作業中?

 おっ、海苔屋さんがあります。炊きたての白いご飯と海苔の組み合わせが大好きなので、早速買いました。家でご飯を炊くのが楽しみです。

 さらに進むと和菓子屋の店頭で、カキ氷を実演販売中(歩いたのは8月末)と思ったら15時からとのこと。時刻はまだ14時半、ひと回りしたあとに、また戻ってこようかな。

 その先で道は環七と交差し、右(西)に曲がれば京急の平和島駅。環七を渡った先も旧街道は続きますが、大森海岸の三業地跡は、どうやらこの辺までのようです。

 環七を左(東)に曲がり少し進むと、また海苔屋さんが。さっき買ったばかりですが、入り口に貼られた品書きの「明太マヨ海苔」に目がくぎ付け(マヨネーズが大好き)。結局寄ってしまい明太マヨ海苔と、大きな三角形に切りそろえた「おむすび用」の海苔も買いました。

 そのまま東へ進むと――海の風が吹いてきました。程なく「大森ふるさとの浜辺公園」に到着。広大な水辺の公園で、敷地内に「大森海苔のふるさと館」もあります。

昔の大森は、海苔の一大生産地

 江戸時代の中ごろから幕府の許可を得て、品川から大井、大森、糀谷(大田区/羽田の西)にかけて、海岸で海苔の養殖が行われました。浅くて静かな海では良質な海苔が育ち、将軍家にも献上していたそうです。

 戦後にかけて海苔作りは続きますが、昭和30年代の高度経済成長期になると、工場排水や重油で海が汚れはじめます。そして一帯の開発のため、海が埋め立てられることになり――この地域の海苔生産者は海苔作りをやめることを決定。約300年続いた大森の海苔作りは、終焉(しゅうえん)しました。

 ただしその後も大森には海苔問屋協同組合が存続し、今も50軒以上の問屋が加入していて、変わらず「海苔の街」であり続けています。この日はあいにくの曇り空でしたが、浜辺公園に面して広がる浜辺を眺め「昔はこの辺のすべてが海だったのかなあ」と思ったりしました。

買った海苔(画像:カベルナリア吉田)



 芸者を派遣する置き屋が、今も大森海岸駅周辺に数軒あると聞きましたが、近くでその建物を見てもそれとはわかりませんでした。芸者遊びを楽しむ粋(いき)と、懐の余裕が今の僕にはありませんが、いつかはそんな「大人の遊び」も楽しんでみたいと思います。

 旧街道に戻るとカキ氷屋が開いていて、氷イチゴでひと休み。通りすがりの少女が「カキ氷よりアイスのほうがいい!」と暴言(?)を吐き、苦笑いしつつ去り行く夏を惜しみました。

 平和島駅に行くと、競艇の街だからか、駅前にギャンブラーっぽいオジさんがたくさんタムロしています。えも言われぬ怪しい雰囲気。昔の三業地や赤線も、こんな雰囲気だったのかなと、ふと感じました。


【画像】現在の「大森」「大森海岸」周辺の様子

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