まるで宇宙船のような外観 銀座8丁目の集合住宅「中銀カプセルタワービル」の歴史に迫る
2019年10月20日
お出かけ近未来的なデザインで知られる、銀座8丁目の集合住宅「中銀カプセルタワービル」。そんな同ビルについて、都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。
その原点はEXPO70にあり
JR新橋駅から東へ徒歩で約8分。高速道路のすぐ横に、まるで近未来からタイムスリップしてきたかのようなビルが建っています。
銀座の不動産会社「中銀(なかぎん)」が、1972(昭和47)年に建設した分譲マンション「中銀カプセルタワービル」(中央区銀座8)。今回は、銀座の外れに残る宇宙船のような集合住宅の話です。

中銀カプセルタワービル(正式名称・中銀カプセルマンシオン。以降、中銀カプセルタワー)をお話しするには、まず1970(昭和45)年の日本万国博覧会、通称EXPO70を外せません。
大阪府吹田市の広大な敷地で開催されたEXPO70は、来場者数約6500万人というとんでもない数字を記録したメガイベントでした。それは、日本の歴史上最大の盛り上がりを見せた、国家ぐるみでのイベントだったと思います。
そしてEXPO70の最大の特徴は、建設された数々の奇妙なパビリオンでした。その姿は、誰もが一目で近未来を連想するものばかり。EXPO70は、世界が夢想した明るい未来を形にした、最初で最後のイベントだったのかもしれません。
数多くの魅惑的なパビリオンの中から、この場で取り上げるべき建物は「タカラ・ビューティリオン」。大阪に本社がある、理美容の椅子などを扱う美の総合メーカー、タカラベルモントが単独で出展したパビリオンは、今でも伝説として語り継がれます。
タカラ・ビューティリオンは、鋼管で組み上げられた巨大ジャングルジムのような骨組みの中に、アルミ製の六面体カプセルを埋め込んだ、それまで全く見たこともないような建築でした。
鋼管とカプセルはすべて工場で生産され、現地での設営はたった7日間というスピード。しかも、カプセルをはめ込む位置を自由に変えられ、さらに増減も可能という、画期的な建築物です。
この建物を設計したのが、新国立美術館などで知られる日本建築界の重鎮・黒川紀章氏。生命が新陳代謝によって更新・成長していくように、古くなったら新しいパーツと交換しながら新陳代謝を繰り返す建物を提唱しました。
その発想から「メタボリズム(= 新陳代謝)」と名付けられた建築運動は、建物に限らず都市計画まで含む壮大なもので、日本発の建築思想として海外にも多大な衝撃を与えました。明治維新以来、西洋建築の吸収とアレンジに終始してきた日本の建築が、初めて世界から認められたオリジナルの思想だったといえます。

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