東京の気象会社で働く主人公モネ
女優の清原果耶さんが主演を務めるNHK連続テレビ小説(通称・朝ドラ)『おかえりモネ』。本作は宮城県気仙沼出身のヒロイン百音が、気象予報士として成長していく姿を描いたもの。
2021年9月現在は気象予報士試験に合格した百音が上京し、気象情報会社で働く“東京編”が放送されています。
百音が朝の情報番組のお天気コーナーで中継キャスターデビューを果たし、プライベートではかつて働いていた宮城県登米市の森林組合で出会った医師・菅波(坂口健太郎さん)との仲を深めたりと、しばらく微笑ましい展開が続いた本作。
しかし、第15週「百音と未知」(8月23日~8月27日)では妹・未知(蒔田彩珠さん)が思いを寄せる百音のおさななじみ・亮(永瀬廉さん)が突然東京に現れ、波乱の展開を迎えました。
永瀬さん演じる亮は2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で母親が行方不明になり、そのことがきっかけでアルコール依存症になってしまった父・新次(浅野忠信さん)との関係に悩みを抱えているという役どころです。
震災だけにとどまらず、生きてる中で誰もが抱えうる“心の傷”に寄り添う本作ですが、筆者が特に注目したのは「依存症患者」の描き方です。
依存症(アディクション)とは、アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ネットなど、特定の物質や行動をやめたくてもやめられなくなってしまう状態のこと。その種類は多種多様で、摂食障害なども依存症の一種(プロセス依存)とされています。
厚生労働省研究班が2013年に発表した調査によると、アルコール依存症患者は109万人。予備軍(多量飲酒者)を含めると、980万人にも及ぶと言われているのです(2013年 厚生労働省研究班「WHO世界戦略を踏まえたアルコールの有害使用対策に関する総合的研究」より)。
決して他人事ではない、身近な問題
新型コロナウイルス感染拡大による社会不安の増大や、家にいる時間が増えたことによる飲酒量の増加、依存症からの回復を手助けする“自助グループ”の活動自粛などの理由から、さらにアルコール依存への懸念が高まっています。
そもそもなぜ、人は依存症になってしまうのか。
精神科医の松本俊彦さんはコラムの中で、
1.「依存症患者さんの多くが、アルコールや薬物の使用量が増加した時期には何らかの苦痛を抱えたり、現実生活で困難に遭遇したりしているということ」
2.「依存症患者さんが依存対象として選択している薬物の多くは、これまでその人が抱えていたコンプレックスや生きづらさを解消し、弱点を補ってくれる作用を持っているということ」
と、ふたつの理由を挙げています(NHK福祉情報サイト「ハートネット」より、コラム『人はなぜ依存症になるのか』)。
つまり依存症患者は何かしらの“生きづらさ”を抱えており、それに伴う苦痛から逃れるためにアルコールなどを摂取しているのです。
特定の物質や行為により、ドーパミンという快楽物質が脳内に放出され、一時的に強い快楽や喜びを得ることができます。それを脳が報酬(ごほうび)と認識することによって、再び同じ感覚を味わうために対象にのめり込んでいく……これが依存症になるプロセスです。
過去の朝ドラでも描かれた「弱い人」
依存症はコントロール障害であり、本人の意思とは無関係に「やめたくてもやめられない」状態になっていきます。
『おかえりモネ』の新次も、アルコールにのめり込んでいくきっかけは“愛する人との別離”でした。実際に身近な人の死が引き金となり、依存症になってしまう人もいます。苦しい現実から逃れるため、心の寂しさを埋めるため、お酒などが手放せなくなってしまうのです。
これまでも朝ドラでは『スカーレット』(2019年9月~2020年3月)のヒロイン・喜美子の父である常治(北村一輝さん)や、『おちょやん』(2020年11月~2021年5月)のヒロイン・千代の父であるテルヲ(トータス松本さん)など、アルコールやギャンブル依存症とみられるキャラクターが登場してきました。
ただその中でも『おかえりモネ』が特異なのは、依存症者の「やめたくてもやめられない」状態とそこに至るまでの経緯や根本的な苦しみにも焦点を当て、丁寧に、慎重に描いた点にあります。
朝ドラに限らず、これまでの映像作品で依存症患者は「意志の弱いダメな人物」として描かれることが往々にしてありました。
『おちょやん』を例に挙げると、テルヲは新次と同じく妻との別離(死)がひとつのきっかけでアルコールやギャンブルにのめり込んでいったという描写がわずかながらにあったにもかかわらず、インターネット上では“朝ドラ史上最低の父”とのレッテルを貼られました。
これは、そんな父に生涯振り回された千代の苦悩をクローズアップしたからでしょう。テルヲは結局、留置場の中でたったひとり絶命するという壮絶な最期を迎えました。
「本人の意志が弱いから」ではない
もちろん、『おちょやん』が依存症患者に対する理解が足りなかった、というわけではありません。『おちょやん』の舞台である大正~昭和初期には「依存症」という言葉すら広まっておらず、治療方法も確立されていませんでした。
そもそもお酒は今よりも高価なものであり、庶民が依存症になるほど多量飲酒することは難しかったのです。大量生産・大量消費の高度成長期に入って以降、多くの人がお酒を安価に手に入れることが可能になったことによって、酩酊者による(あるいは関連する)事件・事故が増加し、ようやく対策を取るべき社会課題としての認識が広まりました。
依存症を理解する上で大切なのは、患者は「やめたくてもやめられない」状態にあるということ。けっして本人の意思が弱いからではなく、根性でやめられるわけでもなく、条件さえそろえば誰にでもなりうる心の病気だということです。
支える家族にも寄り添うストーリー
とはいえ、患者を支える家族が大きな苦しみを抱えているのもまた事実。自分自身を犠牲にしてでも相手に尽くすことで、次第に患者を支えることがその人の生きがいとなり、共依存に陥ってしまうこともしばしばあります。だからこそ、「第三者の介入」が必要なのです。
『おかえりモネ』が画期的だと思うのは、まず依存症をさまざまな治療や援助により回復が可能な病気として描いた点です。
作中でも新次がアルコール依存の治療で通院しているという描写がありました。依存症は慢性的な病気であり、一生涯向き合っていかなければいけません。しかし、専門家や同じ問題を抱える人たちが集まる自助グループの助けを借りながら、回復へと向かっていくことはできます。
登場人物それぞれの今後は?
また、アルコール依存症である親の人生を子が背負う必要はないと間接的に描いている点も『おかえりモネ』の優れているところ。
亮のおさななじみである百音の両親をはじめ、周囲の大人たちが新次を支えており、間接的に子どもたちの未来を守っています。
第40話で亮が友人たちに「過去に縛られたままで何になるよ。ここから先の未来まで、壊されてたまるかっつうの! 俺らは俺らの好き勝手やって生きていく」と語る場面も印象的でした。
依存症の当事者と家族、どちらかの視点に偏ることなく、心の奥深くに寄り添う『おかえりモネ』。第15週では震災から行方不明となっている妻の死亡届を出すか出さないかという問題に直面し、新次はふたたびお酒を飲んで暴れてしまいました。
本作が依存症からの回復をどう描くのか、最終回まで見届けたいと思います。
参考文献:『よくわかるアディクション問題』長坂和則/2018 へるす出版