「大学全入」時代という虚構 東京と地方の根深い進学格差は、なぜ生まれたのか
歴史が物語る、東京の「別格」ぶり 2019年度に高校を卒業した生徒の就職率は17.7%でした。東京は6.3%と、全国で最も低い値です。 ひと桁台なのは東京を除くと神奈川の8.5%と京都の8.4%のみ。地域による差は大きく、25%以上という自治体も珍しくありません。 高校卒業後、就職する生徒は17.7%。一方、東京ではわずか6.3%と全国一少ない(画像:写真AC) 一方、高卒の大学などへの進学率は全国平均54.7%。こちらも地域差による開きがあります。 東京が65.1%なのに対し、沖縄は39.6%。福岡を除く九州地方、北海道や東北地方では40%台です。 「東京の就職率が低く、進学率が高いのは今どき当然」と思う人が多いかもしれません。しかし実は、このように東京が他の自治体と異なるのは70年も昔の終戦直後から見られる傾向なのです。 中学卒業後、45%が就職していた時代 現在も行われている文部科学省の学校基本調査は、戦後のGHQ占領下の1948(昭和23)年度から始まりました。 一番古い中学校または高校卒業後の進路に関するデータは、1950年度のものです。当時の日本で中学校を卒業した学生158万6793人中、就職したのは71万6902人でした。 戦後の混乱期ということもあり卒業後の進路が「不詳」「無業」という学生も相当数いますが、中学卒業後に夜間学校などで勉学に励んでいる就職者を含めた就職率は、上記の通り45.2%。そういった苦学生を除いても40.9%と高く、「中学を卒業したら就職」というルートは当時決して珍しいものではありませんでした。 しかし戦後とはいえ、東京は事情が違いました。 受け皿となる学校数に歴然たる差受け皿となる学校数に歴然たる差 1950年度に東京の中学校を卒業した9万3484人のうち、就職したのは2万3964人で就職率は25.6%。さらに夜間学校に通うなどの進学をせず就職した1万6897人で考えると、就職率は18.1%と、当時から20%を下回っていたのです。 またその一方で、高校進学率も高い数値を記録していました。 全国平均40.9%(夜間学校などに通学する就職者を除く)に対し、当時の東京では53.2%(同)と過半数を超えています。夜間学校に通学する学生などを含むと、実に60%以上という進学率の高さでした。 中卒、高卒で就職する東京の生徒の割合は、戦後以降一貫して全国より低い水準(画像:写真AC) 同じ東京都内でも地域によって進学率の差はあったと考えられますが、夜間学校など就職者でも学業に励めるサポート体制が充実しており「働きながらも中卒以上を目指す」という若者が多かったものと推測されます。 当然ながら、進学率が高かった理由のひとつとして挙げられるのは、高校の数が他の自治体に比べて圧倒的に多かったという点です。 東京の当時の中学校は分校も含めると623校、それに対し高校は396校でした。 大阪は中学校328校に、高校187校。中学校の数が1251校と全国1位の北海道の当時の高校数が196校なのですから、東京の一極集中が今に始まったことではないことが分かります。 東京の場合、金銭的な余裕と保護者の理解があれば「近くに高校があるから」といった理由で進学を選択する生徒が地方に比べてすでに多かったのです。 全国より「20年」先を行く東京の進学率全国より「20年」先を行く東京の進学率 このように、都内の中学生は進学が珍しくない状況になっていました。その一方で、1954(昭和29)年4月に集団就職列車が登場し、俗に「金のたまご」と呼ばれる地方出身の中卒の若者たちが東京をはじめとした大都会にやってきて、戦後の復興や高度経済成長期を支えていたのです。 それでは、1955年から突入した高度経済成長期中の全国や東京の就職率や進学率は、どう変化していったのでしょうか。この頃の象徴的なイベント、東京オリンピックが行われた1964年度の卒業生の進路を見ていきたいと思います。 かつて40%を超えていた全国の中卒の就職率ですが、経済成長が続いたことなどを背景に就学率が上昇。その結果、1964年度3月中学卒業生の就職率は25.3%(夜間学校に通う進学就職者を除く)にまで減少しています。東京では19万7090人のうち2万2742人(同条件)で、さらに少ない約11.6%。 戦後からオリンピック開催までの間、地方でも中卒から就職というルートが非主流派になっていきました。この年度に中学校を卒業した生徒の進学率は66.8%にまで上昇し、東京ではついに82.8%という高水準に到達したのです。 それまで一定数いた、中卒後に夜間学校等に通学しながら働く就職者も3.8%まで減少しており、「高校卒業後に就職する」が全国でも多数派となっていきました。1964年度の高卒の就職率は63%、そして進学率も22.5%になっていきます。 しかし同時に、東京では高卒就職率が50%、そして進学率は30.2%と高等教育機関へ進む割合が高まっていきます。東京の高校生の就職率と進学率が逆転したのはオリンピック開催から9年後の1973(昭和48)年のことです。 全国平均の就職率が50.4%、進学率31.2%というなか、東京では就職率が34.2%、進学率は38.3%に。ちなみに、全国平均で進学率が上回るようになったのは、東京と比べて20年遅い、バブル崩壊後の1993(平成5)年度卒業生からです。 バブル景気から一転し、積極的な採用を控える動きが強まり高卒を気軽に採用する雰囲気ではなくなりました。「大卒なら就職できる」「専門学校なら就職できる」という期待感から進学率が高くなったと考えられます。 ひとり歩きする「大学全入」の弊害ひとり歩きする「大学全入」の弊害 このように、東京に限っては戦後直後から全国とは“別次元”の動きを見せていました。 こうした地方と東京の数値の違いは、明治維新による西洋的な教育機関の設置や、国を背負う若者を養成する高等教育等が東京を中心に推し進められてきた歴史的背景が影響しているのは間違いありません。 東京には数多くの大学、短大、専門学校があり、進学の機会に恵まれている(画像:写真AC) 確かに2000年代以降になると、全国的に大学新設が増え、「Fランク」という新しい言葉が誕生するなど「もはや勉強しなくても望めば誰でも大学に入れる」と揶揄(やゆ)されるようになってきました。しかし現実的には、大都市圏と地方との進学率には歴然たる差があります。 東京と地方とで進学に対する考えの違いが生じてしまうのも、「そこに学校があるから」と通学しやすい条件をはじめとした機会格差が大きいのです。 地方は、教育機関が多数ある東京と異なります。進学に対する保護者らの理解や経済的な問題をクリアしなければ大学などに入学するのは難しく、東京よりも数段ハードルが高いのが実情です。 また、東京の高卒の就職率6%という数字は、東京には大学のほか専門学校などの教育機関が飽和状態であることを示すと同時に「とりあえず進学しなければ」と周囲に飲まれてしまう学生も一定数いるのでは、と推し量ってしまうデータでもあります。
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