【東京出身タレント名鑑】AKB48最長15年半も在籍 峯岸みなみ(板橋区)がセンターじゃなくても輝いていたワケ

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【東京出身タレント名鑑】AKB48最長15年半も在籍 峯岸みなみ(板橋区)がセンターじゃなくても輝いていたワケ

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多くの俳優やアーティスト、タレントたちを輩出してきた街・東京。そんな東京出身の有名人にスポットを当てて、その人柄や魅力に迫ります。今回紹介するのは、2021年5月にAKB48を卒業した元アイドルの峯岸みなみさんです。

区民農園も盛んな板橋区の出身

 全国民に知られるほどの活躍を見せ、2010年代を中心に一世を風靡(ふうび)したAKB48グループ。アイドルに詳しくなくても、AKBだけは知っているという人は数多くいるのではないでしょうか。

 その中でも歴代最長の15年半にわたってAKBに在籍し続けたのが峯岸みなみさん。2021年5月に卒業コンサートを開催し、アイドル活動に幕を下ろしました。

「最後の1期生」としてAKB48を卒業した峯岸さん。2021年6月にはコミュニティー型ファンクラブ「Fanicon」で公式ファンクラブも開設(画像:THECOO)



 峯岸さんは、AKB発足当初から活動するメンバーのひとりで「最後の1期生」と呼ばれていました。同期には前田敦子さんや板野友美さんなど、AKBをけん引した名だたるメンバーがそろっています。

 卒業までにグループのシングル20曲以上で選抜メンバーを務めており、映画『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』などにも出演していました。

 地元密着のニュースサイト「板橋経済新聞」によると、1992(平成4)年11月15日生まれの峯岸みなみさんは板橋区出身。2020年8月には、テレビ東京系の人気番組『出没!アド街ック天国』の「板橋区高島平」特集回にもゲスト出演していました。

 同区は東京都の北部に位置し、面積はおよそ32.33平方キロメートル。人口は約56万9653人(2021年6月1日時点)。区内では農地を借りて収穫体験ができる区民農園があることなどから、23区内では特に自然に触れ合える場所、また23区の中でも気取らず庶民的なムードを持つまちとしても知られています。

グループ内では「トーク番長」

 そんな板橋区出身の峯岸さんは、東京生まれのアイドルの中でもひと際テレビ露出が高いという印象。女優や歌手、モデル、実業家などの道を切り開いていく元メンバーが多い中で、彼女はバラエティー番組で存在感を発揮しています。

峯岸さんの出身地である板橋区(画像:(C)Google)



 AKBグループ内で「トーク番長」と呼ばれ、アイドルであるにも関わらず変顔もちゅうちょなく披露し、体を張ったリアクションもできることなどがバラエティーに起用され続ける理由のひとつでしょう。

 そんな活躍を見せる峯岸さんですが、2009(平成21)年~2018年に開催された「AKB48選抜総選挙」では、実は1度も10位以内に入ったことがありません。

 選抜メンバーに選ばれはするものの、シングル曲のセンターを務めたことはない。そんな彼女が圧倒的に高い知名度を誇る理由は何なのでしょうか。

 今回は峯岸さんが「たとえセンターでなくても輝いたワケ」を、アイドルとしてのキャリアを振り返りながら探っていきたいと思います。

13歳でメジャーデビュー

 4歳からバレエを習うなどダンスが得意だった峯岸さん。小学生時代からアイドルにあこがれていたと言います。

 さまざまなオーディションを受けるも不合格ばかり。そんなときAKBの第1期生を募るオープニングメンバーオーディションを発見。

 当初は秋葉原や劇場公演もよく分かっていなかったそうですが、オーディション雑誌の告知に掲載されていた秋元康さんを見て、両親が「すごい人だよ」と言ったことが応募のきっかけになりました。

 オーディションの歌唱では、高橋瞳さんの『evergreen』を披露。待ち時間も周囲の女の子に「何歌うの?」と積極的に話しかけるなど、当時から明るく人懐っこい性格だったようです。

 無事に第1期生として合格できた峯岸さんは、念願のアイドル活動を始めることになりました(2008年10月10日配信「Deview」インタビュー)。

 2006(平成18)年、当時13歳だった峯岸さんはAKBのファーストシングル『会いたかった』で選抜メンバーに選ばれ、メジャーデビューを果たします。

 その後、2008年には高橋みなみさん、小嶋陽菜さんとともにAKB初のユニットを結成し、ファーストシングル『Relax!』をリリース。

 翌年3月のセカンドシングル『タネ』で初のトップ10入りを果たし、2011年1月のファーストアルバム『ノースリーブス!』ではアルバム1位を獲得しました。

不遇な時期に見せた強さ

 そんな彼女にも、センターを飾るメンバーと自分自身の存在感のギャップに思い悩んでいた時期があります。

 2006年、劇場公演曲『渚のCHERRY』。不動のセンターと呼ばれた前田敦子さんら4人でのユニット曲でしたが、割り振られた歌唱パートはコーラスパートのみ。前田さんがほぼ全編を歌い、衣装も前田さんだけ別のものを用意されていました。

TOKYO FMでレギュラー番組『峯岸みなみのやっぱり今日も褒められたい』が放送中。4月には前田敦子さんがゲスト出演(画像:TOKYO FM)



 峯岸さんを含むほかの3人は、コーラス部分だけを歌うバックダンサーのような立ち位置になり、当時はみじめで辛かったと語っています。

 でも、「踊(って場を盛り上げ)ることが私の役割だと思うようになった」と語る峯岸さんは、その後気持ちを昇華させ、2021年5月の卒業公演では“因縁の曲”と言われている『渚のCHERRY』を再び披露しました。

 自身が考えたという演出で、最初はセンターで踊っていた峯岸さんが、後輩である千葉恵里さんにポジションを譲るという見せ場まで。

 これは峯岸さんがトラウマ(心的外傷)を克服し、アイドルとして強くなった現在の姿を現した印象的なシーンとなりました。

バラエティーで見せた底力

 AKBデビュー当時の葛藤(かっとう)を乗り越え、だんだんとバラエティー番組で頭角を現し始めていった峯岸さん。

 番組ではひと際大きなリアクションをとり、頭の回転の速さを見せ、レギュラーやメインMCを務めるなど、今や各局で引っ張りだこの存在になりました。

 その後YouTubeも開設し、動画内でも体を張ったさまざまな企画や、自身のありのままの姿を披露し話題になっています。

 決してセンターポジションではないですが、独自路線の魅力を磨き上げ、ほかの誰ともかぶらない地位を築き上げたのです。

 2017年の第9回AKB総選挙では「選抜メンバーに入れたら、両親が経営するビアパブ『キリギリス』で祝賀会を行う」ことを公約に掲げ、地元である板橋区を大切にしている様子が伝わってきました。

 アイドル人生の締めくくりである卒業公演には、同期から後輩までたくさんのメンバーが駆けつけ、喜びと感謝の涙を流す瞬間も。周りへの感謝を忘れなかった彼女だからこそ、多くの人に愛され、今なお活躍し続けているのかもしれません。

 アイドルとして第一線で活躍し続けた峯岸さん。まさに板橋区を代表する芸能人のひとりと言えるでしょう。今後のさらなる活躍が楽しみです。

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