100年前、東京湾を一望する「温泉郷」が大森にあった 逝きし面影を求め街を行く【連載】東京色街探訪(7)

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100年前、東京湾を一望する「温泉郷」が大森にあった 逝きし面影を求め街を行く【連載】東京色街探訪(7)

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カベルナリア吉田

紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家

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大田区大森南にかつて、森ヶ崎という一大行楽地がありました。鉱泉がわいた同地。紀行ライターのカベルナリア吉田さんが過去と現在をたどります。

荒涼とした昭和島駅からスタート

 浜松町駅でJR山手線から東京モノレールに乗り換え、普通「羽田空港行き」に乗りました。空港に行く人の大半は空港快速に乗ってしまうので、普通に乗る人は多くありません。

 窓の外に運河を見下ろしつつ、モノレールは天王洲アイル、大井競馬場前、流通センターと進みます。そして4駅目の昭和島駅で降りました。

 狭くて長いホームに降り立ったのは、僕(カベルナリア吉田、紀行ライター)を含め数人だけ。駅の真横に車両基地があり、モノレールが数本、止まっているのが見えます。ホームの端っこから改札口に向かう通路が、これまた狭くて長い! 天井も低く、パイプの中を流されている気分で進みます。

 出口は東西ふたつあり、東口から外へ出ます。自動改札がポツンと1機だけあり、抜けた先も――両側をフェンスに挟まれた、細長い通路がどこまでも続いています。いったいどれだけ歩けば駅前に出られるのでしょうか。

 フェンスの向こう側は森ヶ崎水再生センター(大田区大森南5)。汚れた水つまり下水を処理再生する施設のようです。そして昭和島で降りたのに、聞き慣れない「森ヶ崎」の名前に違和感を覚えます。

 通路は途中で数回折れ曲がり、クネクネ進んでようやく「駅前」に出ると――工場や倉庫が並ぶ無機質な風景に迎えられました。駅前は羽田鉄工団地で、住宅や商店街はない様子です。

駅を降りて15分歩く

 やっと駅前に出たと思ったら、こんな感じ? 途方に暮れそうになりますが、それでも行く先に「街」があることを信じて、テクテク歩きます。

 広大な緑道公園を道沿いに眺めつつ、駅の西側に回り、首都高の下をくぐります。これまた広大なグラウンドを横目に、ひたすら先へ――どうでもいいのですが、グラウンドにやたらと禁止事項の看板が多くて、少々気になります。

 喫煙禁止、犬の散歩禁止、サッカー・ゴルフ・ラジコン禁止、花火・バーベキュー禁止、駐輪禁止、承認書のない方はグラウンド使用禁止。運動しようと思い出掛けたら、出ばなをくじかれるグラウンドです。

 そんなグラウンド沿いに進むと、運河に架かる橋が見えてきました。橋の名は大森東避難橋。ひなんばし? 穏やかではない名前の橋だなと思いつつ渡り始めると――おおっ、橋の向こうにようやく民家が密集する街が見えてきました。

街角の至るところに「森ヶ崎」の文字が(画像:カベルナリア吉田)



 昭和島駅で降りてから、ここまで15分。やっとたどり着いた街は、大森東5丁目。途中の緑道公園を通過すると、住所は大森南3丁目に変わります。そして道沿いに立つ掲示板に「森ヶ崎自治会」の文字。再び目にする「森ヶ崎」。ここは大森南なのに、森ヶ崎?

「大森南」はかつて「森ヶ崎」だった

 住宅に挟まれ、小さな金物工場や車のマフラー工場など、町工場がいくつもあります。その先に大森消防署森ヶ崎出張所もあり、さらに進むと十字路に出ました。バス停に人が並び、店も数軒あり、この辺りが街の中心でしょうか。そしてバス停の名前も「森ヶ崎十字路」です。

大田区大森南にある大森消防署森ヶ崎出張所(画像:カベルナリア吉田)



 バス停に近い大森寺(大森南5)の境内に立つ「森ヶ崎鉱泉源泉碑」を見て、謎が解けました。1901(明治34)年にこの地で鉱泉が湧き、周辺に鉱泉宿が立ち並び、一大行楽地になったそうです。

 温泉が湧き、人が――特に男が集まれば、お相手をする女性も現れます。鉱泉街はいつしか、芸者が行き交う花街になり、1922(大正11)年に森ヶ崎芸妓(げいぎ)屋組合が誕生。都心から近い、東京湾を一望する歓楽温泉郷として、森ヶ崎は人気を呼びます。

 墨田区の向島に足しげく通った永井荷風をはじめ、この地を訪れる文人も多く、文豪たちも隠れ家として利用したとか。しかしその繁栄は長く続かず、時代が昭和に移り戦争の世になると、鉱泉旅館は軍需工場や軍の宿舎になってしまいます。

 そして終戦。戦後の森ヶ崎は鉱泉地として復活することなく、そのまま住宅街「大森南」になって現在に至っています。

花街の残像を探して

 森ヶ崎十字路を過ぎると、その先の道は半分ほどの幅に狭くなりますが、街灯に「森ヶ崎本通り」の表示が連なっています。この「本通り」が旧鉱泉旅館街だそうで、シメに一杯飲めそうな店を探しつつ、歩いてみました。

かつての森ヶ崎鉱泉郷の中心、森ヶ崎本通り(画像:カベルナリア吉田)



 残念ながら現役の店自体があまりありません。年季の入ったお菓子屋が数軒と、壁をパイプが這(は)う塗装工場、さびた煙突がニュッと突き出ています。

 本通りを抜けた先には下町の居酒屋の味、バイスサワーのコダマ飲料があり、隣は池上自動車教習所。手前で曲がり路地を進むと、ここにも森ヶ崎水再生センターと(数か所に分散しています)森ヶ崎公園があります。

 公園は高台にあり、空が広くて気分爽快。文庫本を読み、缶コーヒーを飲みながら、ベンチでボーッとしている人が数人。昭和島駅からけっこう歩いて疲れたので、僕もベンチに座り、しばしボーッ。時折羽田空港に離着陸する飛行機が、ほぼ真横を飛んでいきます。

由緒正しい観音堂も

 小休止のあと、森ヶ崎十字路に戻る途中、歴史を感じるお堂の前に出ました。森ヶ崎観音堂。大正時代までは海岸近くのアシの原の中に立ち、森ヶ崎が保養地として栄えると、森ヶ崎八景のひとつに数えられた、由緒正しい観音堂です。

森ヶ崎観音寺(画像:カベルナリア吉田)

 その案内板によれば1938(昭和13)年8月24日、森ヶ崎上空で旅客機の事故があり、85名が犠牲になったそうです。飛行機が飛ぶ爽快な風景の奥に、そんな歴史があったんですね。

 さらに裏道を適当に進むと――おっ、海苔屋さんがあります。森ヶ崎を含む大森から羽田にかけての一帯は、江戸時代から海苔づくりが盛んな場所です。

 お店には各種味つけ海苔のほか、いろいろな海苔がありましたが、丸い筒状の缶に入ったシンプルな基本の海苔を買いました。炊きたての白いご飯と一緒に食べるのが楽しみです。

 というわけで街をひと回りして、森ヶ崎バス停の前に戻りました。目の前に大きな東京労災病院があり、ここがかつての鉱泉地の跡だそうです。

分厚いトンカツに感じた「もてなしの街」

 旅館に料亭、そして花街――かつての鉱泉歓楽地の残像は、全く残っていません。日が暮れてきましたが、路地を行き交う芸者さんの姿を見ることもありません。

 夕方5時。カラスと一緒に~♪と、美しい音色で「七つの子」のメロディーが響きます。そして「森ヶ崎行き」表示のバスが数分おきにやって来て、人がどんどん降り立ちます。森ヶ崎は大森駅、蒲田駅と路線バスでつながっていて、都心で仕事などを終えた人が、バスで戻ってきたようです。

 そして居酒屋こそ見つかりませんがそば屋、ウナギ屋、焼き肉屋に中華食堂など、店の明かりがポツポツとともり始めます。

 そば屋に入ると「いらっしゃいませー」と明るく迎えられました。かつて大勢の行楽客を迎えた記憶が土地に根づいているのかも、なんて思ったりします。

 カツ丼とざるそばのセットを食べました。トンカツが分厚くて大満足! 料理がおいしい街はいい街です。中華食堂もおいしそうだったし、またブラリと来てみようかな。

石焼き芋屋さんが通過(画像:カベルナリア吉田)



 店を出ると、もう夜の帳(とばり)が降りています。「い~しや~きい~もー」の声を響かせ、石焼き芋を売る軽トラックが、ゆっくり通り過ぎていきました。

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