ゲームのうまいヤツがかっこいい! 子どもの序列をひっくり返した『スーパーマリオブラザーズ』の歴史

  • ライフ
ゲームのうまいヤツがかっこいい! 子どもの序列をひっくり返した『スーパーマリオブラザーズ』の歴史

\ この記事を書いた人 /

猫柳蓮のプロフィール画像

猫柳蓮

フリーライター

ライターページへ

80年代に一世を風靡したファミコンカセット『スーパーマリオブラザーズ』。同作が子ども間に起こした変革とは? フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。

長梅雨はファミコンで乗り切る

 緊急事態宣言下で、東京の街も外出する人が少なくなっています。また、全国的に長梅雨となる可能性があることから、当面の間、家の中で快適に過ごそうと考える人は多いはずです。

 筆者は家でもっぱらゲームを楽しんでいますが、ソーシャルゲームには少し疲れ、最新ゲームも飽きてきたため、最近はもっぱらファミコン(ファミリーコンピュータ)一筋です。

 かれこれ30年以上、近年はたまにファミコンをプレイしてきましたが、子どもの頃に熱中したたまものでしょうか、まだなんとなく身体がファミコンっぽい動きを覚えています。

1985年9月発売のモンスター作品

 とりわけ今でもクリアできるのが『スーパーマリオブラザーズ』です。1985(昭和60)年9月に発売されて空前のブームを巻き起こした、20世紀後半の日本を象徴するゲーム作品です。

『スーパーマリオブラザーズ』(画像:任天堂)



 発売前から子ども向け雑誌で数々の記事が掲載され、注目を浴びていた同作が生み出したインパクトは、社会のさまざまなところで、それまでにない現象を生み出しました。

 ダイレクトに衝撃を受けたのは出版業界です。この年の10月、徳間書店では新書版サイズの『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』を発売します。『スーパーマリオブラザーズ』だけでなくさまざまなシリーズが出ていたことでもおなじみでしょう。

 このシリーズでは価格を400円以下に設定。ゲームのメインユーザーである小学生がお小遣いで買える値段になっていました。なお『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』は390円で、ちなみに当時『コロコロコミック』は330円でした。

他業界を巻き込んで社会現象に

 この本の売れ行きはすさまじく、同年12月時点で46刷・63万部に達し、1985年のベストセラーになっています。

 1985年の出版業界では、フォード社長やクライスラー会長を務めたリー・アイアコッカの自伝『アイアコッカ わが闘魂の経営』(ダイヤモンド社)が大ベストセラーとなっていました。

 しかし、最終的に『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』が追い抜いて年間第1位になっています。『アイアコッカ わが闘魂の経営』は世界的なベストセラーでしたが、日本では『スーパーマリオブラザーズ』にかける子どもたちの情熱が勝っていたというわけです。

 徳間書店では、同年7月に月刊誌『ファミリーコンピュータMagazine』を創刊していますが、当初18万部だったものが、12月発売の新年号では60万部に達しています。

ファミコンをプレイするイメージ(画像:写真AC)



 この出版動向を報じた『朝日新聞』1985年12月14日付夕刊で、任天堂は

「ファミコン本体のここまでの人気も想像できなかったが、出版物は全く予想外」

と驚きの混じったコメントを寄せています。

 既にゲームウオッチのブームも経験し、ファミコンの売り上げも上々だった任天堂をしても、『スーパーマリオブラザーズ』が他業界を巻き込んで社会現象になることを予測していなかったのです。

 このことから『スーパーマリオブラザーズ』は、テレビゲームへの視点を子どものオモチャから、大人が真面目にビジネスに取り組む価値のあるものへと押し上げた作品だったといえます。

子どものヒエラルキーが変わった

『スーパーマリオブラザーズ』を社会現象と言い切れるのは、子どもたちの人間関係における価値観も変容させたことにあります。

ファミコンをプレイするイメージ(画像:写真AC)

 1980年代中盤は、腕力に優れたガキ大将がクラスで威張るという風潮がまだ残っていました。そうした古い価値観は、ファミコンと『スーパーマリオブラザーズ』の登場によって終止符を打たれます。腕力や体育に優れていることより、ファミコンの

・ゲームソフトをたくさん持っている
・ゲームテクニックが優れている

という子どもがリーダー格となるようになったのです。これは社会の大きな変化といえるでしょう。

1980年代中盤まで軽んじられていたゲーム

 皆さんはファミコン以前に人気だった、『コロコロコミック』で1979年から1983年まで連載された、すがやみつるさんの漫画『ゲームセンターあらし』を覚えているでしょうか。

『ゲームセンターあらし』(画像:すがやみつる、小学館)



 連載開始当初は、主人公の石野あらしがゲームセンターでゲームをプレイしていたのですが、途中から小学生がゲームセンターに入れなくなったので、駄菓子屋の店前でプレイするようになるなど、『ゲームセンターあらし』はなにかと世相が見える作品でした。

 この作中に、あらしのゲームのうまさがクラスの女子に否定的に捉えられ、「ゲームがうまくても給料をもらえるわけじゃない……」とゲームを止めようとするエピソードがあります。

 あらしはこの自己否定を無事に乗り越えるのですが、このシーンから、1980年代中盤までは大人だけでなく子どもたちの間でもゲームの価値は軽んじられていたことがわかります。それがファミコンの登場によって徐々に変化し、『スーパーマリオブラザーズ』の登場で激変したのです。

・一度もミスせずにクリアできる
・隠しアイテムの場所をすべて知っている
・裏ワザである無限1UPのやり方を教えてくれる

など、『スーパーマリオブラザーズ』は、「ゲームがうまい = かっこいい」という価値観を広めた作品でもありました。

東京と地方のゲーム温度差

 ただこの価値観の変容にも温度差はあり、東京のような大都市は地方に比べると変化が早かったようです。当時の子どもだった世代に聞いてみると、東京のような大都市に生まれの人には、

「クラスのみんなが買っていると両親を説得して、ファミコンを買ってもらった」

という人が多いのに対して、地方在住だった人は

「あんなものは目が悪くなる」

と買ってもらえなかったと回想する人が多いのです。

眼鏡(画像:写真AC)

 ある人からはこんな話も。

「雑誌などで東京の情報は入るわけです。東京はイベントも多いし、ファミコンのうまい子どもも多いらしいと。小学生なのに、早くどうにかして東京に住まねばと思っていました」

『スーパーマリオブラザーズ』が東京への憧れの一歩だった人は、実は意外に多いのではないでしょうか。

関連記事