ワクチン予約システムで話題の「ぴあ」 かつて一世を風靡した大人気情報誌の歴史とは

今回、新型コロナウイルスのワクチン接種予約システム参入を発表したチケット販売大手のぴあ。そんな同社の歴史について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。


雑誌『ぴあ』創刊は1972年

 チケット販売大手のぴあ(渋谷区東)が、自治体向けに新型コロナウイルスのワクチン接種予約システムを提供すると発表し、話題になっています。

 東京に住む人なら、同社のシステムを少なくとも1度くらいは使ったことがあるはず。もはやチケット購入のインフラともいえる存在です。また現在30代以上の人なら、雑誌『ぴあ』を買って、面白そうな映画やコンサート、展覧会を探した思い出のある人も多いでしょう。

2011年7月発売の雑誌『ぴあ』最終号(画像:ぴあ)



 そんなぴあは、中央大学の学生だった代表取締役社長の矢内廣さんが、数人の仲間たちと始めた小さな事業でした。雑誌『ぴあ』が創刊されたのは、1972(昭和47)年7月のこと。

 雑誌発行のアイデアは、映画研究会に所属して年に数百本の映画を見ていた矢内さんが、二番館(封切館の次に新作の映画を上映する映画館)などの情報を知らせるメディアがないと思ったことから編み出されました。

 創業メンバーは出版経験のない素人学生。矢内さんたちは、まず都内映画館などのスケジュールを調べた創刊号をつくりますが、流通に乗せるための取次会社は相手にしてくれません。

 ならばと書店に直接交渉しますが、これもうまくいかず。若さゆえの勢いとは恐ろしいもので、この時点で創刊号の印刷は発注済みだったといいます。

創刊号は26ページ、100円

 ここに救いの手を差し伸べたのが、老舗書店・教文館(中央区銀座)の社長だった中村義治さんです。

中央区銀座にある教文館(画像:(C)Google)



 中村さんは雑誌『Hanako』(1988年6月創刊)の初期、店舗の前に平台(屋台)を置いて最新号とバックナンバーを山積みにして、自ら声を枯らして売った名物社長として知られています。

 その効果はすさまじく、1989年7月6日発売「どうする!? 銀座大情報」特集号は、この店舗だけで3万部以上売れたといいます。

 そんな中村さんのような人物でも、『ぴあ』はうまくいかないと最初は否定的でしたが、矢内さんたちの情熱に心をうたれたのか、『ぴあ』を置きたい書店リストを持ってこさせ、リストにあるすべての書店に自筆の署名入りの紹介状を持たせたといいます。

 こうして発売された『ぴあ』創刊号は26ページで100円。印刷部数1万部のうち販売数は2000部と、決して好調とはいえないスタートでした。

『ぴあ』『シティロード』が二大巨頭

 しかし、これまで映画館やコンサートホールに電話したり、新聞の案内に目を通したりしないとわからなかった情報が一冊でわかる便利さは、若者たちの支持を次第に集め、発行部数も拡大していきます。

 そして1976年10月にはついに取次会社経由の流通が始まり、出版社としての形が整います。『ぴあ』が若者たちにウケたのは、純粋な情報誌であり、編集者の主観を入れなかったためといわれています。

『シティロード』1980年12月号(画像:エコー企画、西アド)

 同時期には、関西を拠点とする『プレイガイドジャーナル』(1971年7月創刊)、東京のコンサート情報からスタートした『シティロード』(1971年12月創刊)など、類似の雑誌がいくつも生まれています。

 東京では70年代から80年代にかけて、『ぴあ』と『シティロード』が情報誌の二大巨頭として勢力を競っていました。

異なった両誌の編集方針

 ふたつの雑誌は異なる編集方針をとっていました。

 主観を入れない『ぴあ』に対して、『シティロード』は一家言ある記事やインタビューを入れていました。

 同じ映画でも劇場情報をメインとする『ぴあ』に対して、連載記事の書き手が辛口だったのが『シティロード』でした。いわばメジャーとマイナー、ネアカとネクラのような対立軸だったのです。

『ぴあ』が月刊から隔週刊、週刊へと発行ペースが伸びていったのに対して、『シティロード』は最後まで月刊のままでした。

 ただ、読者の文化圏が分断されているわけではなく、70年代から80年代に大学生だった人に聞いてみると、サークルの部室にいけば、誰かが買ってきた両雑誌が置いてあるのが定番の光景だったとのこと。

部室のイメージ(画像:写真AC)

 しかし、良くも悪くも批評的なテイストの『シティロード』は次第に読者を減らし、1992年9月号で休刊。出版元を変更し復刊してメジャー路線で復活を狙ったものの、1994年4/5月合併号を最後に再び休刊しました。

ライバル誌の争いが激烈だった90年代

 一方、1991年11月に角川書店(当時)から創刊された『東京ウォーカー』は情報の網羅よりもテーマを優先し、『ぴあ』の強大なライバルとなります。

 90年代の『ぴあ』のライバル誌といえば、一般的に『東京ウォーカー』が思い出されますが、セゾングループのエス・エス・コミュニケーションズ(当時)が発行する『apo』(1991年11月創刊)も存在していました。

 ぴあは1979年末に、当時の郵政省・電電公社が共同開発したキャプテンシステム実験に参加。これ自体はうまくいきませんでしたが、1984年にチケットぴあのサービスを開始、プレイガイド事業をスタートしています。

 一方『apo』を有するエス・エス・コミュニケーションズは1990年、西武百貨店からチケット・セゾン事業を継承しました。

チケットぴあのウェブサイト(画像:ぴあ)



 この三つの雑誌による三つどもえの争いが繰り広げられた90年代は、情報を伝達するだけでなく、それを新たな販路へとつなげていくために各社が試行錯誤を繰り広げた時代といえるます。

 そして21世紀。雑誌『ぴあ』はインターネットの発展とともに勢力を失い、2011年7月に休刊しました。一方で、チケット販売事業は形を変えて社会のインフラともいえる地位まで成長しました。ぴあが業界大手として成長する一方で、チケット・セゾン事業は現在のイープラスとなっています。


【画像】雑誌『ぴあ』創刊号の表紙

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