真夜中3時の品川で、かわいそうな「女の幽霊」が乗ってきた話【連載】東京タクシー雑記録(8)
2021年5月16日
ライフタクシーの車内で乗客がつぶやく問わず語りは、まさに喜怒哀楽の人間模様。フリーライター、タクシー運転手の顔を持つ橋本英男さんが、乗客から聞いた奇妙きてれつな話の数々を紹介します。
はだしの女性が手を挙げていた
フリーライターをやりながら東京でタクシーのハンドルを握り、はや幾年。小さな空間で語られる乗客たちの問わず語りは、時に聞き手の想像を絶します。自慢話に嘆き節、ぼやき節、過去の告白、ささやかな幸せまで、まさに喜怒哀楽の人間模様。

今日はどんな舞台が待っているのか。運転席に乗り込み、さあ、発車オーライ。
※ ※ ※
タクシー運転手をしていると、同僚同士、またはお客さんとの雑談で「幽霊を乗せたことはあるか?」という話になることがあります。そんなとき私は、ある体験を思い出します。
ある夏の夜のことです。たしか金曜日の深夜。
その日は昼から付いていませんでした。1日分の稼ぎを取り戻そうとやみくもに走っても振るわず。そろそろ仕事も終わるかという未明の3時過ぎ。場所は第一京浜国道沿い、品川区東大井です。
白いパジャマ姿とおぼしき若い女性が、道端で手を振るようにしてこちらを見ています。30歳前後でしょうか。足元は……えっ、はだし? 車を寄せて止めました。
「お客さん、どうしてはだしなんですか?」
「さ、斎場まで行ってください」
「き、ふぃがあさいぜう」
女性は行き先を告げているようです。
「え、何て? もう一度お願いします」
「きりふぁがさうじょう」
「何て言っているのですか、もう一度お願いします」
「き、りぃ、が、や、さ、さい……」
「えーっと、桐ヶ谷斎場ですか?」
「そ、そう……です」
髪の長い、何だか不気味な雰囲気の女性客です。なるべく目を合わさないようにしようと、第六感とも言うべき警戒心が働きました。
指定された葬儀場へ、とにかく西大井の近道を走りました。住宅街も商店街も人っ子ひとりいない真夜中。それにしたって、あまりに静か過ぎます。走らせ走らせ、ようやく葬儀場の近くまで行ったとき、再び後部座席から声が。

「や、やっぱり乗った所まで、か、帰ります」
「えっ、何ですって?」
「か、火葬場が見たかったけれど、い、行かなくていいです」
「行かなくていいって、お客さん、ちょっと」
「も、もういいんです……。もう、私……」
ふいに背筋が凍りつく。ルームミラー越しに初めて女性を見ました。
「お母さんに会いたかった……」
表情のない目、額にはアザのような痕、ゆがんだ口元、ボサボサに乱れた髪……。まさか、幽霊? ついに出たか! 都会の幽霊だぁ。ブルブル。
「は、早く降りてくれーー!」
絶叫する私に、彼女は眉間にシワを寄せ、ジッとこちらを見やるではないですか。下からの視線で、上目遣いに。後頭部と背中全体に痛いほどの圧を感じます。降りる様子は全くありません。
とにかく言われるまま、乗った地点までUターンすることに。すぐさま幹線道路に出て、信号待ちする車列に慌てて入ります。膝がガクガク。周りに車がないとおっかなくて仕方ない。もう汗がダラダラ、運転どころではありません。
すると彼女が、
「お、お金、持っていません。お、降ろしてください。お、お母さんに、会いたかった……」。
ここでプツッと緊張の糸が切れました。お金の心配ができるのなら幽霊ではない。キキキーッと、思わず急停車です。
「えーっ! お金がないと無賃乗車になりますよ」
「か、勘弁してください……」
おびえた顔がルームミラーに映る。よく見ると顔じゅう赤黒くて、うつろな目。もしかしてこの人、酔っているのか? その夜たまたま夏風邪ぎみでマスクを着けていた私は、車内に広がる酒のにおいに気づかなかった。
すると女性はポロポロ涙をこぼし始めます。
母が病死し、泣きぬれた日々
「ご、ごめんなさい。お、お母さんに会いたくて。い、家を飛び出して勢いでタ、タクシーを拾って……」
先ほど女性を乗せた場所まで戻ると、彼女から連絡を受けた父親が心配そうに待っていました。70歳に近い風貌です。
おやじさん、すっかり平身低頭。聞けばつい最近、母親が病気で急に亡くなり、女性はふさぎ込みがちになり、夜は酒に浸るようになってしまったのだとか。

その日も自宅でビールだか焼酎を空けて、そのままフラッと家を出て行ってしまったのだと言います。
「ご、ごめんなさい。悪気はな、なくて……」
母親の死で、身なりを気遣う余力さえないくらい憔悴(しょうすい)していたのでしょうか。彼女がうつむくたび、ボサボサの髪が力なく揺れました。
私は、
「はいはい、悪くないですよ。大丈夫です。だけど深夜割り増し5000円以上もメーターが出てるので、お支払いいただけますか」。
父親がしきりに頭を下げながら財布を取り出し、料金をぴったり払うとそのままふたりで自宅へ帰っていったようでした。
親子の幸せを願って夜は明けた
はだしの彼女のために靴も、ちゃんと持ってきていたおやじさん。おそらく大事なひとり娘なのだろうなと想像しました。
幽霊などと勘違いして悪かったと思いつつ、あの親子がまた笑顔で暮らせることを願わずにはいられません。お父さん、そんなに謝らないで――。さっき、父親にそう声を掛けてあげるべきだったかと悔やみます。今夜の出来事はもう、お互いさっさと忘れてしまうのが良いでしょう。
何はともあれ、どっと疲れた一晩でした。会社へ戻ろうと車を走らせる頃、辺りにはもうほの白い朝日が差し込み始めていました。
※記事の内容は、乗客のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。
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