歴史をよく知る人ほど、伊豆諸島を「離島」とは呼ばないワケ
2021年4月18日
知る!TOKYO東京都の島しょ部である伊豆諸島は、一般的に「離島」「孤島」とされています。しかし歴史をさかのぼると一概にもその認識が正しくないと、フリーライターの大島とおるさんは指摘します。いったいなぜでしょうか。
静岡県で発掘された神津島産の旧石器
東京都の島しょ部である伊豆諸島は、
・大島
・利島
・新島
・式根島
・神津島
・三宅島
・御蔵島
・八丈島
・青ヶ島
の9島から成り、現在は船や飛行機で比較的簡単に訪問できます。とはいえ、長きにわたって本土から遠い離島だったのもまた事実。美しい海に囲まれた常春の島・八丈島もかつては流刑地で、「鳥も通わぬ」と言われるほどだったのです。
そんな伊豆諸島ですが、有史以前から多くの人の営みがありました。
これまでの研究で、すでに旧石器時代から人類が到達していたことが明らかになっています。その証拠として、神津島産の旧石器が本土の各地で発見されています。
これまでに発見された最古のものは、静岡県沼津市の井出丸山遺跡から。この遺跡は約3万7000年前のものと推測されており、出土した黒曜石は分析の結果、神津島産であると判明しています。黒曜石はそのほかにも、関東地方を中心に広い地域で発見されています。
本土と伊豆諸島を行き来した人たちがいた?
同じく静岡県の河津町にある見高段間(みたかだんま)遺跡は縄文時代中期の遺跡で、約19kgの黒曜石が発見されています。これは、神津島から巨大な原石を切り出し、運びやすい大きさに加工してから流通していったことを示しています。

このことから、旧石器時代から縄文時代までの長きにわたって、石器の良質な材料を求めて本土と伊豆諸島を行き来していた人たちがいたのではないかと考えられています。
しかし、小舟を使って本土から伊豆諸島へ航海するのはとても困難です。そのような点から、日本人の源流とされる、黒潮の流れに乗って南方から移住してきた人たちによって伝承された航海術を彼らが使ったとも考えられるのです。
神津島産の石器は本土で発見されているものの、現時点で、伊豆諸島での旧石器時代の人類の営みは発見されていません。もっとも、現時点では発見されていないだけで、伊豆諸島に旧石器時代には人が住んでなかったと言い切ることはできません。
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