都心から離れた「府中市」がかつてゴリゴリの政治的中心地だったワケ
2021年3月28日
知る!TOKYO東京都の多摩地域中部に位置する府中市。そんな同市には奈良・平安時代、武蔵国の国府が置かれていました。いったいなぜでしょうか。フリーライターの真砂町金助さんが解説します。
政治的中心都市が置かれた府中市
東京都の中心は23区で、皇居のある千代田区か、都庁のある新宿区が特に際立っています。しかしこのエリアが中心となったのは、徳川家康(1543~1616年)が江戸の町を建設してから。それ以前はもっと西、多摩地域中部に位置する、現在の府中市あたりにありました。
東京都の旧国名(律令制により設けられた国)は武蔵国(むさしのくに)です。時代によって領域は変動しますが、武蔵国は東京都のほか、埼玉県と神奈川県北東部(横浜市・川崎市)をカバーしていました。
そんな武蔵国の国府(政治的中心都市)が置かれたのが、現在の府中市です。
奈良時代から平安時代にかけて、国府には朝廷から派遣された国司(地方官)が政務をつかさどっていました。しかし国府は平安時代以降に廃絶され、現代ではどこにあったか判明していない地域も多いのです。
同じように武蔵国府も、平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「多麻郡に在り」と書かれているだけで、具体的な位置はわかっていませんでした。
府中という地名は、同地に武蔵国の総社(複数の神社の祭神を1か所にまとめた神社)の大國魂神社(府中市宮町)があるため、伝承により名付けられましたが、肝心の国府の場所がはっきりしていませんでした。
ところが1975(昭和50)年以降に行われた発掘調査によって、国衙(こくが。国司が政務にあたった役所)が発見され、位置が判明。その後も発掘調査は続けられて、住居だけでも、これまでに4000軒あまりが発掘されています。
発掘の成果は大國魂神社の境内にあるふるさと府中歴史館に保存されているほか、遺跡の多くも整備され、見学できるようになっています。
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