昭和初期の建築が密集する神田須田町、そのナゾに迫る

2018年12月30日

知る!TOKYO
ULM編集部

秋葉原駅の近くに、昭和時代にタイムスリップしたようなエリアがあります。名前は神田須田町。なぜこのような光景が残っているのか、取材しました。


70%以上が爆撃された旧神田区

 観光客や買い物客でにぎわう秋葉原駅から400メートルほど南東に位置する神田須田町(千代田区)。このエリアに足を踏み入れると、まるで昭和時代にタイムスリップしたような光景が広がっています。都会の激しい新陳代謝からぽつりと取り残された木造建築の街並みは、なぜ変わることなくその姿を残していているのでしょうか。

昭和初期の建物が並ぶ神田須田町(2018年7月21日、ULM編集部撮影)

 その理由について、千代田区内にある文化財の調査研究を行う日比谷図書文化館文化財事務室は、「神田須田町が太平洋戦争の空襲をまぬがれたため」といいます。同区が2016年に発行した戦争体験記録集「未来へつなぐバトン」には、空襲の被害について、以下の記載があります。

1930(昭和5)年竣工の甘味店「竹むら」(2018年7月21日、ULM編集部撮影)

「千代田区内の空襲は昭和19(1944)年11月29日夜半からB29が27機来襲、神田など城東地域が被害に遭いました。昭和20(1945)年2月25日の空襲被害は甚大で、早朝からの積雪で消火活動は困難を極めたといいます。特に神田区(編集部注:現在の千代田区北部の地区。神田須田町は当時、神田区須田町といった)の被害は大きく、家屋約1万戸が被災しました」

 神田須田町のあった神田区はその後も空襲を受け続け、終戦直前の1945(昭和20)年6月時点で、実に70%以上が爆撃にあったといいます。

1925(大正14)年~1926(昭和元)年竣工のそば店「神田まつや」(2018年7月21日、ULM編集部撮影)

「須田町には当時、東京地下鉄道(東京メトロのルーツとなる会社)が直営するチェーンストア『神田須田町地下鉄ストア』がありました。ある戦災史には、その建物の上層階から見た当時の様子として、『上空からの機銃掃射に警防団(編集部注:第二次大戦中、地域の消防や防空などのために組織された団体)や兵隊が、なすすべもなくうろうろしていた』と書かれています」(同室)

神田須田町にある銅板やタイルなどが張られた「看板建築」の建物(2018年7月21日、ULM編集部撮影)

 しかし、同町の一部のエリア、現在の神田須田町1丁目周辺は奇跡的に被害をまぬがれることができたのです。戦災焼失区域を示した「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」(1946年発行)を見るとそれを確認することができます。

国登録有形文化財や都選定歴史的建造物が並ぶ


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