「都営」なのに、新宿線の終点「本八幡駅」が千葉県にあるワケ

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「都営」なのに、新宿線の終点「本八幡駅」が千葉県にあるワケ

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弘中新一

鉄道ライター

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全国の公営鉄道のなかで、都道府県を越境しているのは「都営新宿線」だけ。終点の本八幡駅は千葉県にあります。いったいなぜでしょうか。フリーライターの弘中新一さんが解説します。

都営なのに駅は千葉県に?

 都営新宿線は都心を東西に横切る路線で、東京に住む人は利用する機会が多いでしょう。そんな都営新宿線の東の終点は千葉県市川市にある本八幡駅です。なぜか東京都の路線にもかかわらず、隣の千葉県まで路線が延びているのです。

 全国の公営鉄道のなかで、都道府県を越境して路線が延びているのは、都営新宿線しかありません。しかも都営新宿線の本八幡駅は総武線の本八幡駅、京成線の京成八幡駅と縦に交わるような形で走っており、なかなか興味深いです。

 この都営新宿線が走っていることで、市川市は船橋市と並ぶ東京のベッドタウンとして栄えています。では、都営新宿線が千葉県まで走っている理由は利便性だけなのでしょうか。

 そこには、千葉県の未完の夢がありました。

江東区・江戸川区の交通網整備が目的

 都営新宿線の基本となっているのは、1968(昭和43)年に都市交通審議会の答申で「芦花公園方面より新宿及び靖国通りの各方面を経由し、市ヶ谷、神保町、須田町及び浜町の各方面を経て住吉町方面へ至る」東京10号線として計画されたものです。

都営新宿線(画像:(C)Google)



 当初の目的は、人口が急増していた江東区・江戸川区の交通網の整備でした。

 例えば江戸川区では1950年の国勢調査で20万8861人だった人口が、1965年には40万5139人と倍増していました(2021年1月時点では69万5797人で、23区中4位)。その人口増に対応するために計画されたのが、10号線でした。

 1978年に岩本町~東大島間が先行して開業。その後順次開業し、最後の篠崎~本八幡間が開業したのは1989(平成元)年のことでした。この時点で本八幡駅は仮設駅で、1991年に本設化。京王線の乗り入れも始まっています。

県営鉄道の復活を夢見た千葉県

 路線が本八幡駅まで伸びることになったは、1972(昭和47)年のこと。同年3月に示された都市交通審議会答申第15号で、10号線に新たな路線計画が追加され、そのうち千葉ニュータウン方面へ向かう計画が追加されたためでした。

 千葉ニュータウンは高度成長期にともなって開発されたニュータウンで、多摩ニュータウン・港北ニュータウンと並ぶ首都圏の巨大ニュータウンです。

都営新宿線「本八幡駅」(画像:写真AC)



 この千葉ニュータウンと都心を結ぶ鉄道として、都営1号線(現在の都営浅草線)から京成電鉄の京成高砂駅経由で小室駅(船橋市)まで結ぶ路線と、都営10号線の東大島駅(江東区)経由で新鎌ヶ谷駅(鎌ケ谷市)・印旛地区に至る路線の2路線が計画されます。

 これらの路線のうち、メインと考えられていたのは後者でした。というのも、計画されていた10号線の車両は大型で編成が長く、輸送量も多かったからです。

 1973年には東京都交通局と千葉県開発局長の間で覚書が交わされ、東京都が本八幡駅までを、千葉県が残りの区間を千葉県営鉄道北千葉線(仮称)として建設し、完成後は直通運転を実施する計画となりました。

 千葉県では昭和初期まで県営鉄道を運営していたこともあるため(現在のJR久留里線、東武野田線など)、この計画は数十年を経ての県営鉄道の復活でもありました。

 ところが、計画の実現に向けて動き出した1973年にオイルショックが始まります。建設費の高騰を受けて、東京都側では一部工事の遅れや建設の見直しがあったものの、それでも工事は進みます。

 一方、千葉県側では当初の予定が困難に。とはいえ、ニュータウンの建設は続行しており、入居開始も1979年に迫っていました。そこで千葉県と宅地開発公団(現在の都市再生機構の前身のひとつ)は、サブ路線だった小室~千葉ニュータウン中央間の工事に取りかかります。

 こちらは1979年3月までに新京成線の北初富~小室間までが開業。これが現在の北総線となっています。

幻となった「千葉ニュー」への直通列車

 この路線が開通した一方、本八幡駅へ向かう路線は地価が高騰したことで、土地の買収が困難になっていました。加えて、オイルショック以降、首都圏の人口の伸びが鈍化し、建設の費用対効果も疑問視されることに。そのため、千葉県では北初富~小室間が開通する前年となる1978年に計画を早くも凍結したのです。

 千葉県側の計画が凍結されたことで、東京都側では本八幡駅まで延伸することに対して疑問の声が出たものの、篠崎駅(1986年開業)から本八幡駅まで延伸することで、混雑緩和の効果はあると判断、工事は続行されます。

 実際、駅のある市川市にとっては多大な効果がありました。

 JRや他路線との乗換駅が多い都営新宿線に接続することで、市川市のみならず周辺地域も含めて、都心のアクセスが向上。このことからも千葉県側の計画凍結を乗り越え、建設を進めた東京都の判断は正しかったといえるでしょう。

 その後、鉄道が建設されるはずだった本八幡駅より先の地域では、鉄道空白地帯の解消を求めて、路線の建設が引き続き模索されます。

 1992(平成4)年には改めて本八幡~新鎌ヶ谷間に、千葉県と市川市、鎌ケ谷市の出資する第三セクターが建設する方針が決まり「北千葉線促進検討委員会」が設置されます。

 しかし、この計画も少子化が進み、沿線人口の増加が期待できないとして実を結ぶことはありませんでした。

千葉県白井市・印西市・船橋市にまたがる「千葉ニュータウン」(画像:(C)Google)



 こうして新宿から千葉ニュータウン方面への直通列車は幻となりましたが、当初の計画に従って建設された瑞江駅には追い越し設備が、岩本町駅には折り返し設備が設置されました。この設置によって、都営新宿線では急行運転が実施され、現在も混雑緩和とアクセス向上に役立っています。

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