江戸を焼き尽くした「明暦の大火」はなぜ起こった? ヒントは文京区本郷の特殊な地形にあるのかもしれない
2021年3月2日
知る!TOKYO本郷三丁目交差点近くにある「菊坂」と明暦の大火の関係について、地形散歩ライターの内田宗治さんが考察します。
明暦の大火と火元になった寺
江戸の町に80日以上雨が降らず、寒空のなか、町が乾燥しきっていたときに起きた大惨事があります。今からちょうど364年前、明暦3年1月18日(新暦では1657年3月2日)に発生した明暦の大火です。
その日、朝から北西の強い風が吹いていました。この大火事では、大名屋敷160家をはじめとして江戸の町の約6割が焼け、死者は数万人から10万人と推定されています。関東大震災や太平洋戦争空襲時の火災を除けば、日本史上最大の火災。江戸城の本丸と天守もこのとき焼け落ち、以後天守は再建されていません。
火元は3か所とされていますが、そのうちのひとつ、最初に出火したのが本郷(文京区)の菊坂にあった本妙寺です。
菊坂は、本郷三丁目交差点近くから菊坂下交差点まで約700m、途中平らに近い区間もあるゆるやかな坂です。

本妙寺はその中腹に立地し、明治時代後期に豊島区巣鴨5丁目に移転しています。明暦の大火後も廃寺とならなかったため、本妙寺火元引き受け説(実は隣の幕府老中の屋敷から出火したものの、幕府の威信を保つため老中屋敷の代わりに火元を引き受けた)などもあるようです。
また明治・大正時代では、樋口一葉、石川啄木、宮沢賢治が、菊坂周辺に住んでいました。一葉が使っていたという井戸や彼女が通った質屋(建物が現存)、啄木や賢治の下宿跡など、文学散歩スポットや下町的風情の地が点在し、それらを散策する人の姿もよくみかけます。
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