今じゃ想像できない? 渋谷カルチャーの発信地「公園通り」にかつて陸軍刑務所があった

東京を代表する繁華街で、渋谷カルチャーの発信地「公園通り」に、かつて陸軍の刑務所があったことをご存知でしょうか。その歴史について、地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。


変貌を遂げる公園通り

 渋谷駅に隣接する地では現在、大規模再開発が進行中です。駅周辺は高層ビルが林立する姿へとすでに変わりました。

 渋谷でもう1か所、こちらは中規模程度ですが近年変貌を遂げているエリアがあります。駅方面から、渋谷パルコやNHK放送センター方面へと坂道を上っていく公園通り周辺です。

 1980~1990年代、公園通り周辺は、渋谷パルコを中心にライブスポットや小劇場(山手教会地下の渋谷ジャンジャンなど)も含めて先端文化の発信地でした。公園通りを歩いていくとき、何か新しいものに出会えそうで、胸が高鳴ったものです。

 その後は2016年にパルコが閉店するなど、エリアとしてやや精彩を欠いた感がありました。

渋谷にあった陸軍刑務所

 2019年頃からこのエリアに転機が訪れます。

 同年10月、公園通りの坂道を上りきった所にある渋谷公会堂の建て替えが完成し、会員制交流サイト(SNS)のLINEがネーミングライツを得てLINE CUBE SHIBUYAと名付けられました。渋谷カルチャーの継承と発信を掲げる大ホールです。

 その隣、少し奥まった所では同年1月、地上15階建ての渋谷区役所新庁舎が完成、移転先から元の地に戻ってきました。そして11月、渋谷パルコのリニューアルオープンです。

 これで元の役者がそろいました。公園通りには、LINEに対向するようにしてガラス張りのAPPLEショップもあり、店内のにぎわいがよく見えて目立っています。さまざまな新顔も現れているわけです。

 こうした公園通り周辺も、昭和の戦前まではまったく雰囲気の異なるエリアでした。LINE CUBE SHIBUYAの隣(渋谷区役所などの地)にあったのは、なんと東京陸軍刑務所です。

渋谷税務署の隣にある二・二六事件慰霊像。旧東京陸軍刑務所内の刑場だった地とされる(画像:内田宗治)



 隣接する神南小学校や渋谷税務署(渋谷区宇田川町)一帯まで、その敷地は広がっていて、高さ約3.6m(一丈二尺)のれんが塀で囲まれていました。今の公園通りは当時、渋谷駅から刑務所へと歩んでいく坂道だったのです。

旧陸軍刑務所の敷地に建つ慰霊像

 東京陸軍刑務所(当初の名称は陸軍衛戍〈えいじゅ〉監獄)は1889(明治22)年、同地につくられました。

 1936(昭和11)年の二・二六事件では、昭和維新の名のもとに重臣たちを殺害して逆賊となった青年将校たちがここに拘禁されます。政治の腐敗を憂いて、約1500人の下士官・兵を率いてクーデターを起こしたものでしたが失敗に終わった事件です。軍法会議の結果、首謀格全員の死刑が確定し、この刑務所内で安藤大尉ら19人が、銃殺刑に処されています。

 戦後は、同地北側に広がる代々木練兵場(現・代々木公園、NHK放送センターなど)とともに連合国軍に接収され、在日米軍の兵舎・家族用居住宿舎(通称ワシントンハイツ)となり、返還後の昭和40年、同地に渋谷区役所が建てられました。

渋谷税務署の隣にある二・二六事件慰霊像(画像:内田宗治)



 現在、旧東京陸軍刑務所の敷地内、ちょうど刑場があったとされる場所(渋谷税務署の西隣)に、二・二六事件での刑死、および捕らわれる前に自決した青年将校、彼らに殺害された重臣・警察官など、ともに慰霊する像が建てられています。今回訪れた時も花が供えられていたのが印象的でした。

なぜ丘の上に立地しているのか

 明治時代以降、東京の刑務所は、同地のように丘の上に立地している例がほかにも存在します。

 旧市ケ谷刑務所(新宿区富久町、現・都立総合芸術高校などの地)、巣鴨刑務所(後の巣鴨プリズン、現・サンシャインシティの地)、陸軍囚獄所(後の陸軍近衛歩兵第3連隊、現・赤坂サカス・TBS放送センターの地)も坂を上った所や丘の上に位置しています。

公園通り、坂道を上りきった所にあるLINE CUBE SHIBUYA。写真右側背後のビルが渋谷区役所(画像:内田宗治)

 東京陸軍刑務所の記録によれば、同地に立地させたのは、「(日の当たらないじめじめした谷の中ではなく)乾燥して衛生的な土地のため」とされています。その理由もあるかもしれませんが、ほかの刑務所の例も含めて考えると、脱獄者を見つけて捕らえやすいからとも思えてきます。

 または娑婆(しゃば)とは別世界を印象づけているようにも感じます。丘の上ではない例として、平地にある小菅刑務所(現・東京拘置所)がありますが、こちらの敷地は川と運河に囲まれ、脱獄しにくそうです。

「陸軍用地」と刻まれた標石

 公園通りの現在のにぎわいからは、かつてここに軍隊の刑務所があったことなど、まったく想像もつきません。ですが、ほんのわずかな痕跡が残されています。

 渋谷区役所の南西、丘の麓に東急ハンズがあり、そこから道をはさんだ先、フェンスの内側に小さな標石が埋め込まれています。

 敷地の境界を示すもので、それには「陸軍用地」と刻まれています。戦前からそこにあったものかどうか分かりませんが、同地付近が陸軍の施設だったことを、ひっそりと伝えています。

「陸軍用地」の標石(画像:内田宗治)



 ここから若者でにぎわうセンター街を通り渋谷駅へと向かうと、現在の平和の尊さが実感されてきます。


【地図】かつて「東京陸軍刑務所」があった場所

画像ギャラリー

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