興行収入の比較は無意味? ジブリ作品と『鬼滅の刃』に共通する揺るぎない魅力とは

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興行収入の比較は無意味? ジブリ作品と『鬼滅の刃』に共通する揺るぎない魅力とは

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星野正子

20世紀研究家

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普段アニメや漫画に興味を持たない人たちも映画館に足を運ばせる力を持つ宮崎駿監督作品。その人気の変遷について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

宮崎駿監督作品vs『鬼滅の刃』という構図

 最近のバラエティ番組では「この曲をBGMに使えば番組を盛り上げられる」といわんばかりに、『鬼滅の刃』のオープニングテーマ曲『紅蓮華』が流れます。

 またあらゆる店を覗いても、なにかしらの『鬼滅の刃』関連グッズを売っており、子どもたちに至っては市松模様の服を着ていることも。いったい、このブームはいつまで続くのでしょうか。

 そんななか、『鬼滅の刃』となにかと比較されがちなのが、これまで日本のアニメの顔とされてきた宮崎駿監督の作品です。

 2001(平成13)年の公開以来、興行収入トップの座に君臨していた『千と千尋の神隠し』が2020年末、劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』に追い抜かれました。『千と千尋の神隠し』は興行収入316億8000万円でしたが、劇場版『鬼滅の刃』は324億7889万円に達し、さらに伸びようとしています。

 日本のアニメが世界的に人気であることはいうまでもありませんが、そのなかでも宮崎駿監督作品が特異だったのは、アニメに興味を持たない人たちも映画館に足を運ぶ作品を生み出してきたことでした。

 そうしたアニメはほぼ宮崎駿監督作品だけだったと思いますが、劇場版『鬼滅の刃』は、そのような常識すらも変えたといえます。

「天声人語」も絶賛した『風の谷のナウシカ』

 そんな宮崎駿監督作品ですが、最初から子ども連れで楽しめる作品だったわけではありません。その前に、いったいどの作品から、いわゆる「宮崎アニメ」もしくは「ジブリ作品」として扱うのかを考えねばなりません。

 この定義だけで「私はこう思う」という人がたくさんいると思いますが、ひとまず『風の谷のナウシカ』から、ということにして話を進めていきましょう。

『風の谷のナウシカ』(画像:1984 Studio Ghibli・H、トップクラフト)



 1984(昭和59)年3月11日に公開されたこの作品は全国の東映洋画系90館で公開され、高い評価を受けました。例えば『朝日新聞』は1985年1月8日付朝刊の「天声人語」で、執筆者が立ち見で見たと語った上で、

「ナウシカという個性ゆたかな少女の創出なしには、この映画の成功はなかったと思う」

と絶賛しています。

 実際、上映館が少なかったことで多くの映画館には行列が出来、立ち見も当たり前でした。なお同作は『キネマ旬報』の1984年度のベストテンでは7位にランクインするなど、批評家などからも高い評価を受けました。しかし、その後のジブリ作品の盛り上がりと比べて、それは極めて小さいものでした。

興行収入が伸び悩んだ『天空の城ラピュタ』

 あくまで『風の谷のナウシカ』は普段から映画に親しんでいるといった、文化的素養のある人たちが盛り上がっただけで、決して誰もが見る作品ではありませんでした。

 当時の新聞や雑誌を見ると、新聞や専門誌は盛んに同作を取り上げています。しかし、広く読まれている週刊誌や若者雑誌、女性誌などで触れているものは、ほとんどありません。わずかに触れている記事は、イメージソングを歌い注目された安田成美さんについてのものばかりです。

 続いて、1986年に『天空の城ラピュタ』が公開されます。

『天空の城ラピュタ』(画像:1986 Studio Ghibli)

『風の谷のナウシカ』が当時の規模で「そこそこヒット」したことから、上映館は東映洋画系103館と前作よりも増加しています。この作品も評価は高く『キネマ旬報』1986年ベストテンでは8位にランクインしています。

 しかし、新聞や一般誌の扱いを見ると『風の谷のナウシカ』よりもさらに小さく、ほぼ言及されていません。新聞のデータベースを調べた限りでは、公開月前後に作品に触れた記事は皆無です。このときには味の素(中央区京橋)が同作のジュースをコラボ商品として売り出し、テレビCMも打っていたにも拘わらず、です。

 興行収入も伸び悩みました。公開されたのは8月からの夏休み期間中で、この時期の公開作をみると、邦画では

・『子猫物語』
・『東映まんがまつり』(『ゲゲゲの鬼太郎』『メイプルタウン物語』『ハイスクール鬼面組』『キャプテン翼』の4本立て)』
・『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』
・『チェッカーズ SONG FOR U.S.A』

などです。

 さらに洋画では『ショート・サーキット』『ポリスアカデミー3/全員再訓練!』といった作品が並んでいます。このことから宮崎アニメは当時、ほかの映画と同列に並べて選択されない作品だったことがわかります。

転機は『となりのトトロ』から

 潮目が変わったのは、1988年の『となりのトトロ』からです。

 同作は『キネマ旬報』のベストテンでついに1位を獲得したものの、興行的にはさらに奮わない結果となりました。ところが興行収入とは裏腹に多くの賞を受賞したことで、作風に注目が集まるようになります。

 新聞・雑誌における宮崎アニメへの言及が急増するのは『となりのトトロ』が興行的には奮わなかったことが確定した1988年末頃からです。

『となりのトトロ』(画像:1988 Studio Ghibli)



 当時の記事を見ると、受けた賞の名前を羅列しているものが目立ちます。熱い記事がある一方、「評判の漫画映画だから記事にしておこう」というノリの記事も。情報感度の高い人が読みそうな雑誌でも、賞の名前と『となりのトトロ』のあらすじを書いて文字数を稼いでいるものも少なくありませんでした。

 今では日本映画に欠かせない存在になっている宮崎駿監督も、この時点では「ブームの監督」の扱いでしかなかったのです。

作品の持つ「普遍的な要素」とは何か

 たとえブームのように思われても注目されたことで、1989(平成元)年に公開された『魔女の宅急便』の客足は伸びました。そしてこれに続く1992年の『紅の豚』ヒットによって、ようやく宮崎アニメは一過性のブームでないということが確立されたのです。

『紅の豚』(画像:1992 Studio Ghibli・NN)

 2020年は『鬼滅の刃』の大ヒットで、宮崎アニメの興行収入を抜く・抜かないということでばかりが言及されました。

 しかし本当に注目し、考えるべきなのは、両作品に通底しているであろう、普段はアニメを見ない人、映画館に行かない人をコロナ禍の最中に突き動かす「普遍的な要素」とはなにか、という点ではないでしょうか。

 いずれにせよ、2021年も多くの良作が東京の映画館を盛り上げてくれることを願っています。

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