江戸幕末の士「坂本龍馬」、子孫3代との親交で見えた「気骨」の血筋とは

歴史上の人物の中で最も人気の高いひとり、坂本龍馬。数々の逸話を持つ偉人の子孫たちはその後、何を思いどのように生きていたのでしょうか。脈々と続く系譜をたどって、ノンフィクション作家の合田一道さんが日本近代史の“その後”へ案内します。


品川に建つ、若かりし龍馬像

 品川区東大井、京急線の立会川駅からほど近い一角に「坂本龍馬像」は建っています。2020年からの新型コロナ禍では、マスクを着けて感染拡大防止をアピールしているとのこと。

 像がある周辺にはかつて土佐藩の鮫洲抱屋敷があり、浜川砲台が造られました。若かりし龍馬はペリー来航時、江戸の警護のためこの地に臨時招集されたといいます。

 20歳頃の龍馬を表した像は、きゅっと口を引き結び、今も現代の東京を見つめ続けています。

今なお国内外で絶大な人気

 さて、日本史上の人物の中で最も人気の高いひとりがこの坂本龍馬ではないでしょうか。

 全国龍馬社中を中心に、東京はもちろん全国各地、さらには外国にまでも龍馬会の組織があり、何年かごとに全国龍馬大会が開催されています。

 筆者(合田一道。ノンフィクション作家)も一時期、北海道龍馬会に所属していたので、何度も大会に参加しました。2020年はコロナの影響でテレワークによる開催になったそうですが、やはり盛り上がりを見せたといいます。

 前回の記事(2021年1月11日配信「江戸幕末の士『勝海舟』、子孫たちが語った晩年の知られざる素顔とは」)で勝海舟の子孫の話を紹介しましたが、今回は坂本龍馬について触れたいと思います。

57年前、胸打たれた「8代目」の思い

 龍馬家には直系の末裔(まつえい)はいませんが、坂本本家は現在、坂本匡宏(まさひろ)さんが10代当主として各地の龍馬会の会合などに出席しています。

 筆者が匡宏さんと初めて顔を合わせたのは2018年秋、北海道函館市の龍馬記念館で開かれた記念式場でした。

 あいさつの後、「あなたの祖父・直行さんと親交があったのですよ」とお話ししたら、驚いていました。

 まだ幼かった匡宏さんの目に映った祖父は、少し怖い感じだったそうです。筆者自身も“土佐のいごっそう”――頑固で気骨のある男性という印象を抱いていただけに、納得したものでした。

品川区東大井にある坂本龍馬の像。ペリー来航時、この地で警護に当たった(画像:写真AC)



 その直行さんに筆者が会ったのは57年前。北海道新聞広尾支局勤務となり、着任早々、隣町の大樹町の町長にあいさつに行ったところ、「ぜひ会わせたい人物がいる」と言われたのです。

 町長車に乗せられて着いたところが、広尾町豊似の直行さん宅でした。

 町長の勧めで直行さんが取り出したのは、龍馬の15回忌に勝海舟が書いた書や西郷隆盛の書など。慌てて写真を撮ったところ、「新聞には出さないように」と言われ、「それならなぜ見せたのか」と思わず反論したものでした。

 町長が「まあまあ」と仲に入ってその場は納まりましたが、その後に言った直行さんの言葉が胸に刺さったのです。

20年余にわたり交わした年賀状

「龍馬は龍馬、俺は俺だ」

 歴史上の人物を先祖に持つ末裔は、何かと先祖と比較されるのでしょう。それを嫌っているのを知ったのでした。

 直行さんは農民画家と言われ、開墾のかたわら数々の山の絵を描いており、山岳画家と言われていました。以来、訪れると気安く応じてくれ、山岳談義などで時が経つのを忘れるほどでした。

 歳月が流れ、転勤で各地に異動する筆者のもとに、毎年正月、直行さんから届いた年賀状は20通ほど。今も机の中に大切に収めています。

『龍馬、蝦夷地を開きたく』という本を筆者が出版したのは、新聞社を退職し、北海道龍馬会が誕生した直後で、直行さんはすでに亡くなっていました。札幌に住むツル夫人を訪ねて昔話をしながら、出版の了解を得たものでした。

9代目、酒の強い物静かな男性

 長男の登さんとは、北海道龍馬会の集まりの席で出会いました。十勝の大樹町で生まれ育った登さんは、がっしりした体躯(たいく)で物静かですが、とても酒が強く、何度か酌み交わす仲になりました。

 というわけで、登さんの長男の匡宏さんと出会ったことにより「坂本家3代を知る人間」ということになりました。長生きした証拠、と自分に言い聞かせています。

 北海道には札幌と浦臼に坂本家の墓があります。理由は、龍馬の甥に当たる本家の当主・直寛が、龍馬亡き後、その遺志を継いで北海道開拓の移住団を率いて北見に入植したからです。

 直寛は龍馬の長姉・千鶴の嫁ぎ先、高松家の次男に生まれ、坂本本家を継ぎました。

多くの子孫たちが眠る墓地

 ところが同志の武市安哉が浦臼に聖園農場を開いてほどなく急逝したため、北見の開拓を前田駒次らに託して浦臼に移り住み、農場経営に尽くし、移住民の心の支えとなりました。

 その後、キリスト教新聞の記者になり、牧師を経て伝道師になります。

 直寛を頼って浦臼にやって来たのが、坂本龍馬家を継いだ坂本直の妻・留です。

 直は直寛の実兄で、龍馬が健在な頃は高松太郎の名で、海援隊で活躍しました。明治天皇により龍馬家の当主となりましたが、病で亡くなったため、妻の留が幼い次男・直衛を連れてここまでやって来たのです。

札幌・円山墓地にある坂本直寛の墓(画像:合田一道)



 坂本本家の墓は札幌市の円山墓地にあります。「坂本直寛之墓」と刻まれた自然石の立派な墓です。ここに直寛夫妻をはじめ、長男・直の婿養子で本家を継いだ弥太郎、それに直行さん夫妻など一族が眠っています。

 龍馬家を継いだ直の妻の留と次男・直衛の墓は、浦臼町の高台の墓地にあります。そばに武市安哉の墓が建っています。「龍馬ゆかりの地」と言われるゆえんです。


【画像】現代に生きる、龍馬の子孫

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