都心から約1000km 小笠原諸島が「日本領」となるまでの苦難の歴史とは
2020年9月22日
知る!TOKYO東京から約1000km離れた小笠原諸島。その波乱の歴史について、フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。
東京都から離れること約1000km
父島、母島、聟(むこ)島、硫黄列島からなる小笠原諸島は東京都の中心から南南東に約1000km離れていますが、所属は東京都で、住所は東京都小笠原村です。
1000km離れているというのは、南なら鹿児島県の種子島、北なら北海道の美深町あたり。このような比較をするだけでも、東京都の範囲がいかに広いかということがわかります
そんな小笠原諸島は、江戸時代から、日本はもとより欧米でも存在が確認されていましたが、長らく定住者はいませんでした。しかし19世紀になって欧米で捕鯨が盛んになると、寄港地として重要視されるようになります。
島に入植した国際色豊かな30人
初めて入植を試みたのはアメリカ人のナサニエル・セイヴァリーとその一行で、1830(文政13)年のことです。

セイヴァリーはマサチューセッツ州の出身で船員として働いていましたが、けがをしてホノルルで下船、治療を受けていました。そこでイギリスが小笠原諸島への入植を計画していると聞き、参加を決意。当初の入植者は欧米出身者が5人、ハワイなどの太平洋諸島出身者が25人でした。
入植者の主な産業は、島で育てた野菜や家畜を売るといった、捕鯨船相手の商売でした。当初はイタリア生まれのマテオ・マザロが移民のリーダーでしたが、数年で島を去り、セイヴァリーがまとめ役となりました。

New Article
新着記事
Weekly Ranking
ランキング
- 知る!
TOKYO - お出かけ
- ライフ
- オリジナル
漫画