丘陵地開発で景観も充実 梨とニュータウンの市「稲城」を巡る【連載】多摩は今(4)
2021年1月15日
お出かけ多摩ニュータウンの最東部に位置する稲城市。多摩川と多摩丘陵に挟まれた同市の魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。
多摩ニュータウンの最東部に位置
多摩ニュータウンは東京を代表するニュータウンで、その造成事業では多摩丘陵の中に南北2~3km、東西14km、総面積約2850haと広大な面積が開発されました。
そのため開発エリアは複数の自治体にまたがっており、ニュータウンの中心と言われるのは多摩市のほかに八王子市、町田市、稲城市の4市に開発エリアがまたがっています。
中でも最も東京都心寄りにあるのが稲城市です。今回はそんな多摩ニュータウン最東部、稲城市の様子の「今」を紹介したいと思います。

東京都心から稲城市へは調布まで京王線、調布から京王相模原線でアクセスします。稲城市内の京王相模原線には京王よみうりランド、稲城、若葉台の3駅があり、新宿から稲城駅までは30分弱かかります。また、稲城市内にはJR南武線も通っており、矢野口、稲城長沼、南多摩の3駅があります。
稲城市は大きく分けて京王相模原線沿線で多摩丘陵の中にあたるエリアとJR南武線沿線で多摩川に近い平地エリアのふたつに大別されます。多摩丘陵エリアでは住宅開発が進み、多摩川に近い平地エリアには一軒家中心の住宅地と農地が入り交じっています。
市内の農地を潤す大丸用水
市名となった稲城という地名はそこまで古くなく、明治時代に生まれたものです。
1889(明治22)年に公布された町村制に基づき五つの村が対等合併する際に命名されたものですが、由来には諸説あり、はっきりしていません。説によっては「稲穂」や「稲毛」という地名が候補としてあったというものがあります。いずれにしても「稲」の字は使われており、稲作が行われていたことがうかがえます。
また、「城」としては鎌倉時代から室町時代に使われていたとされる城跡があり、そのうち市北部にあったとされる大丸城跡には城山公園(稲城市向陽台)が整備されています。

大丸城跡北側から始まり、稲城市内の農地を潤しているのが大丸(おおまる)用水です。江戸時代に開削され、現在の稲城市東部と川崎市多摩区北部の水田を潤していました。現在もJR南武線に近いエリアで大丸用水の堀を見ることができます。

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