知ってた? 臨海副都心の愛称、実は「レインボータウン」だった

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知ってた? 臨海副都心の愛称、実は「レインボータウン」だった

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本間めい子

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東京臨海部の中心部に位置する「臨海副都心」。同エリアには以前、「レインボータウン」という愛称があったのを覚えているでしょうか。フリーライターの本間めい子さんが解説します。

愛称決定の動きは1996年から

 東京都の湾岸、お台場から有明、青海に至る「臨海副都心」。皆さんは、このエリアの愛称が「レインボータウン」であるのをご存じでしょうか。あまり普及していないように見えますが、その決定にはなかなかの困難があったのです。

臨海副都心の地図(画像:東京都港湾局)



 臨海副都心の愛称を決める動きが始まったのは、臨海部に広がる空き地が話題になった1996(平成8)年。その背景には青島幸男都知事(当時)が前年に世界都市博覧会の中止を決定したことがありました。

 都市博が本来開催される予定だった1996年は、港陽小学校・中学校やお台場海浜公園(港区台場)、東京ファッションタウン、東京ビッグサイト(江東区有明)などの施設も造られました。

 世界都市博覧会は中止になったものの、開発が進む臨海副都心に愛称を決める東京都の委員会が始まったのは10月のこと。自由な議論を行うため、委員の選考は非公開で行われ、タレントの高見知佳さんや随筆家の青木玉さん、区や地元代表の9人が選ばれました。

頓挫したオフィス街区の建設

 元々、臨海副都心の基本計画が決定された1988(昭和63)年時点で、前年の「東京テレポートタウン構想」に基づき、愛称は既に「東京テレポートタウン」に決定していました。

 ところが、オフィス街区の建設といった構想は頓挫。その代わりに使われるようなったのが「臨海副都心」だったのです。

東京テレポートタウン駅(画像:(C)Google)

 りんかい線・東京テレポート駅の名前はこの名残で、テレコムセンターなどを管理する第三セクターも「東京テレポートセンター」の名称を継続しています。

公募で寄せられたさまざまな愛称

 世界都市博覧会の中止を始めとする開発の失敗面がメディアに大きく報じられ、その名前が知られるようになったこともあり、臨海副都心の愛称には当時、よい印象はありませんでした。

 そこで東京都は「マイナスイメージがつきまとうため、開発推進の見直し方針が決まったのに伴い、新しい愛称を決めることにした」のです(『毎日新聞』1996年10月30日付朝刊)。

現在の臨海副都心(画像:(C)Google)



 1988年には約6900通だった公募ですが、1996年には1万2721通に倍増。応募数の上位作品を見ると、

・レインボータウン
・東京ベイシティ
・レインボーシティ
・ドリームタウン
・東京フロンティア

などがあり、さらには「カモメタウン」や「うみのまち」といった案も寄せられました(『産経新聞』1996年10月30日付朝刊)。

 12月にはこれらの公募に委員の意見も加え、次の最終候補作が選ばれます。

・海の手
・海の手東京
・東京24
・東京ハーバーシティ
・東京ベイシティ
・りんかい
・レインボータウン

 公募から優れた愛称を選ぶなかで、もっとももめたのが「東京24」でした。

 委員は当初、「東京24区」を最終候補作に選考しようとしました。しかしこれに対して臨海副都心のある江東区と港区が「都の『天領』のような印象を与え、二十三区の立場を無視している」とそろって反発。

 とりわけ多くの面積を持つ江東区は、区長自らが地域の愛称を都が決めることへの不快感を示しています。これに対して、委員会は「24時間活動する街と意味づければよい」として区を除いた「東京24」として最終候補作に選出したのです(『読売新聞』1996年12月21日付朝刊)。

 1997年1月、臨海副都心の愛称は「レインボータウン」に決定。命名式では青島都知事が「オーバーザーレンボー」を熱唱、新たな愛称をアピールしました。

2012年以降は記事からも姿を消すことに

 しかし臨海副都心が既に定着していたことから、レインボータウンはまったく定着しませんでした。都庁内でも、わざわざ新しく付け直す必要があるのかと疑問が出ていたほどです(『毎日新聞』1997年1月18日付)。

 その後の新聞報道でも「レインボータウン(臨海副都心)」という表記が頻繁に使われています。雑誌専門図書館・大宅壮一文庫(世田谷区八幡山)の所蔵雑誌を調べて見たところ、雑誌に至っては、わずか7件しか記事がありませんでした。

 東京ベイエリアを特集した『Hanako』1997年8月6日号では、レインボータウンの見出しの横に小さく「臨海副都心」の文字があります。おそらく編集者も「レインボータウンと書いても、東京の人すらわからないのでは」と考えたのでしょう。

 その後、レジャースポットとしてお台場が脚光を浴びるようになると臨海副都心周辺を指して広く「お台場」と呼ぶ人が増えるようになっていきます。

現在のお台場(画像:写真AC)



 その後、東京ビッグサイトのある有明を始め、各地で開発が進むと正確な地名で呼ばれるように。また臨海副都心線が愛称を「りんかい線」としたことで、臨海副都心の愛称がさらに定着。2001年以降の全国の新聞記事でレインボータウンという表記が登場する記事はわずかに21件で、2012年以降は一切使われていません。

 レインボータウンの愛称は定着しませんでしたが、臨海副都心のネガティブなイメージは既に過去のものですから、結果オーライなのかも知れません。

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