初詣客No.1を誇る明治神宮の歴史が実はとっても浅いワケ
2020年1月1日
知る!TOKYO多くの人が初詣に訪れる明治神宮。そんな明治神宮の歴史は、意外と浅いといいます。いったいなぜでしょうか。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
明治天皇を祭る目的で造られた
山手線の原宿駅西側に広がる明治神宮(渋谷区代々木神園町)は、元日に初詣客が日本一多く訪れる神社仏閣として知られています。明治神宮は内苑(ないえん)と外苑(がいえん)があり、両者のエリアはおおむね山手線の線路を境にしています。
そんな明治神宮ですが、ほかの神社仏閣と比べるとその歴史は短いにもかかわらず伝統を感じさせます。

その名前が示す通り、明治神宮は明治天皇を祭る目的で造営されました。つまり、造営計画が持ち上がったのは大正に入ってからで、その歴史が浅いことは当然なのです。
歴代の天皇は、それまで京都に居住していました。明治天皇も京都で生まれ育ち、明治維新とともに東京へと住まいを移します。しかし、それまでの慣例から陵墓(りょうぼ。皇族の墓)は京都とされ、京都市伏見の桃山御陵に埋葬されました。
天皇の遺志を知り、渋沢は方針を変更
明治天皇の陵墓が東京から遠く離れた京都になったことは、東京人を悲観させました。そして、政財界有志が明治天皇の陵墓を東京に誘致する運動を開始します。財界の代表者は、資本主義の父として知られる渋沢栄一。政界の代表者は大蔵大臣を務め、現職の東京市長だった阪谷芳郎です。阪谷の妻は渋沢栄一の次女ですから、実質的にプロジェクトを主導したのは渋沢ということになります。
明治天皇の陵墓を東京へと誘致しようとした渋沢ですが、桃山への埋葬は明治天皇の遺志であることを知り、断念します。渋沢は方針を変更して、東京に記念となるモノを残せないかと思案します。そこで出てきたのが、明治天皇を祭る神社創建という案でした。
財界の重鎮である渋沢が動いたことで、政界内でも明治天皇を祭る神社創建が検討され始めました。そして、内苑は国が、外苑は民間が整備するという取り決めがなされて、プロジェクトがスタートしたのです。

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