いつだって「庶民の味」 江戸で花開いた天ぷらのアツアツ今昔物語【連載】アタマで食べる東京フード(12)
2021年1月10日
ライフ味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。
江戸で開花した元祖ファストフード
今日、もっとも伝統的な日本料理となったすし、天ぷら、うなぎ、そばは、江戸時代の江戸で流行した元祖「ファッションフード」で、すべて屋台での買い食いが中心のファストフードでした。
これらが全盛を迎えたのは、町人が経済力を持つようになった文化文政期(1804~1830年)。料理のレシピ本や店案内、料理屋をランキングした番付表が人気を博し、庶民が食の情報消費と食べ歩きにいそしんだグルメブームの時代です。
なかでもファストフードの王者格だったのが、天ぷらです。
原型はポルトガルやオランダから伝来した南蛮料理にあるといわれますが、いまも西日本では魚のすり身を揚げたものを「てんぷら」と呼ぶように、大阪や京都では衣揚げが定着しませんでした。
それに対し、エビやイカ、ハゼ、キス、ギンポ、メゴチ、シラウオ、アナゴ、貝柱など、新鮮な江戸前の魚介が豊富に手に入る江戸では、爆発的なヒット商品になったのです。
露天の天ぷら屋台は、天明期(1781~1789年)から盛んになりました。
火事が多かった江戸では、引火しやすい油を扱う天ぷらは屋外での営業しか許可されず、店内で商売する場合でも、店の前で揚げて売らなければなりませんでした。
使う油はゴマ油をはじめ、エゴマ油、カヤ油、菜種油などで、いまのように精製度が高くなかったので油煙が上がり、室内での調理には不向きでもありました。

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