90年代原宿で流行った「安くてカワイイ」とファストファッションとの埋められない差
2020年12月13日
ライフ原宿・竹下通り。およそ半世紀にわたって若者カルチャーの発信地であり続けるこの場所もまた、新型コロナの影響で2020年現在、少なからぬ打撃を受けています。でも、この場所が持つ固有の価値は変わらないと指摘するのは平成ガールズカルチャー研究家のTajimaxさん。懐かしい記憶とともに竹下通りの今と昔を紹介します。
パレードのような人波の明るい街
筆者は、小学生の頃に初めて原宿・竹下通りに来たときの記憶をよく覚えています。
ごちゃごちゃと雑多にまみれていますが、東京のほかの繁華街とは少し違う、まるで「パレードのような明るい」ごちゃごちゃ感……。
全長350m程度の一本道の出口を目指してたくさんの人がずっと続いていて、お祭りのような光景に驚いたのを覚えています。
当時はタレントショップが数多く並び、またクレープ屋の甘い香りに胸がときめきました。
筆者が大好きだった雑貨屋さんも竹下通りにあって、今でも竹下通りを訪れると、たとえお店は変わっても、外観が当時からずっと変わらない建物もあるので不思議な気分になります。
2020年、コロナ禍の打撃も大きく、残念ながら閉店を余儀なくされているお店も少なくないのが、初めて竹下通りのあのワクワク感は忘れられません。
今回は90年代~00年代当時のイラストMAPと比較しながら原宿・竹下通りの昔と今を考えたいと思います。
「若者カルチャーの街」の始まり
まずは竹下通りの歴史を振り返ってみましょう。
“竹下通り元年”と呼ばれた1974(昭和49)年、明治通りに複合ビル「パレフランセ」がオープンしました。
この年から原宿の商店街化がどんどん進み、1977年にはクレープ店が開店、瞬く間に原宿名物として大人気となりました。
1979年頃には「ブティック竹の子」の衣装を着て歩行者天国で踊る竹の子族が一躍話題になったことも有名です。

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