トレンディードラマで注目浴びた清澄エリア
隅田川にかかる橋の中でも勝どき橋と並ぶ美しい橋として知られるのが、1928(昭和3)年完成の清洲橋です。
当時の深川区「清」住町と日本橋区中「州」を結んでいたことからこの名前が付けられ、『断腸亭日乗』『ぼく東綺譚(「ぼく」はさんずいに「墨」)』で知られる小説家・永井荷風の作品にも取り上げられています。
しかし、そんな清洲橋が最も注目された作品といえば『男女7人夏物語』で、TBS系で1986(昭和61)年7月から放送され、最高視聴率31%を獲得したトレンディードラマの元祖といわれています。
この番組で明石家さんまと大竹しのぶが出会ったり、石井明美の歌う『CHA-CHA-CHA』が大ヒットしたりと、『男女7人夏物語』は語るべき要素の多い作品です。また明石家さんまの演じる主人公・今井良介のマンションが日本橋中洲に、大竹しのぶの演じる神崎桃子のマンションが清澄にあるという設定でした。
サードウェーブコーヒーも人気の追い風に
清澄といえば、今でこそ都営大江戸線の駅である「清澄白河」の名前でよく知られており、駅前からは深川江戸資料館(江東区白河)へと江戸情緒のある街並みが続いています。
かつては倉庫街だった一帯はリノベーションされ、現在はオシャレなカフェなどに変身しています。きっかけは2015年2月のブルーボトルコーヒー日本1号店のオープンで、その後、サードウェーブコーヒーという言葉が大はやり。同店に続いてオープンしたカフェにも大行列ができ、話題を呼びました。
そんな頃に筆者も足を運んでみましたが、オシャレな若い男女が行列している一方、味のある下町のおじさんたちが「寒い日に飲むと、なかなかうまいな」と江戸弁で話していたのが印象に残っています。
『男女7人夏物語』がヒットした35年前には、清澄は倉庫の多い完全な下町。東京に住んでいる人でも行ったことがある人は、ほとんどいないエリアでした。もう少し南の深川八幡あたりは古くから栄えているエリアでしたが、清澄は真逆でした。そんな街の価値がこのドラマによってガラリと変貌したのです。
かつては区役所もあった
このドラマを経て、清澄白河駅周辺がトレンディーなエリアとなったのは、駅の開業(2000年)以降です。それまで鉄道空白地帯だったエリアに地下鉄駅ができることから、周辺ではマンションの建設が急ピッチで進んでいきます。とりわけ変化が著しかったのは、深川資料館通りでした。
今では観光客向けの目立つ店が並ぶ商店街ですが、もともとは1892(明治25)年に深川江戸資料館の場所に深川区役所が設置後に栄えたエリアです。
戦後も、江東区役所が1973(昭和48)年に現在地(江東区東陽)へ移転するまでありました。加えて木場(貯木場)があったことから、多くの作業員も働くにぎわいある中心地でした。
この通りの商店街はかつて「区役所通り商栄会」(1948年発足)と呼ばれていましたが、前述の江東区役所に続いて1974年に木場も新木場エリアへと移転してしまいます。
あわや商店街も衰退かと思われたところ、1986年に深川江戸資料館が完成。商店街の名前を「深川資料館通り商店街協同組合」変えて、観光型の商店街へ移行したという経緯があります。ちなみに名物の「秋のかかしコンクール」は、1998(平成10)年に始まったものです。
こうして見ると『男女7人夏物語』の舞台に清澄が選ばれたのは、これから変わりゆく街の風景を制作陣が敏感に捕らえていたことがわかります。しかしマンションはともかく、カフェが増えるのは誰も想像しえなかったでしょう。
それはそうと『男女7人夏物語』のラストで、ノンフィクションライターを志す神崎桃子(大竹しのぶ)がマイケル・ジャクソンのツアーに同行取材するためにアメリカへと旅立つシーンがあるのですが、駆け出しのライターがなぜマイケル・ジャクソンに同行できるのか、今となっては大きな謎です。
人気で続編も誕生
なお『男女7人夏物語』のあまりの人気を受けて、翌1987年10月から続編の『男女7人秋物語』が作られました。記事を書くにあたって改めて見ましたが、こちら方がブッ飛んだ内容でした。
『男女7人秋物語』は舞台が隅田川から川崎へと大きく移動。今度を川崎がオシャレに描かれていることからも、当時の制作陣の力量には目を見張ります。ちなみに当初は軽井沢を舞台にする予定だったそうですが、出演者のスケジュールの都合で川崎になったそうです(『週刊明星』1987年10月15日号)。
近年は、アニメやマンガなどの舞台を訪ねる「聖地巡礼」が盛んですが、過去のドラマ作品の舞台も訪ね歩けば、その街の変化を深く味わえるため、一種の歴史散歩として楽しめます。